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仙台高等裁判所 昭和54年(く)42号 決定 1983年1月31日

本籍《省略》

(仙台拘置支所在監)

請求人 斎藤幸夫

昭和六年三月一六日生

弁護人 青木正芳

同 島田正雄

同 袴田弘

同 佐藤唯人

同 西口徹

同 髙橋治

同 佐川房子

同 岡田正之

同 阿部泰雄

同 佐藤正明

同 犬飼健郎

同 増田隆男

右請求人に対する強盗殺人、非現住建造物放火被告事件について、昭和三二年一〇月二九日仙台地方裁判所古川支部が言渡した有罪の確定判決に対する再審請求につき、仙台地方裁判所が、昭和五四年一二月六日付でした再審開始決定に対し、仙台地方検察庁検察官検事田代則春から適法な即時抗告の申立があったので、当裁判所は次のとおり決定をする。

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、仙台地方検察庁検察官検事田代則春提出の即時抗告申立書及び即時抗告理由補充書記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

第一原決定に至るまでの経過

一件記録を調査検討すると、原決定に至るまでの経過につき、次の事実が認められる。

一  昭和三〇年一〇月一八日午前三時五〇分ころ、宮城県志田郡鹿島台町船越部落集会所から仙台市へ白菜を出荷するため、鳥海等の運転する貨物自動車の助手席に同乗していた村上重一は、右集会所を出発して間もなく同県同郡松山町新田部落から火の粉が上っているのを発見し、鳥海等に命じて貨物自動車の警笛を吹鳴させると共に、付近の人家に火災の発生を知らせた。右通報により、近隣の住民は火元である同県同郡松山町氷室新田一四〇番地小原忠兵衛方に集まり消火作業に当ったが、同家は焼失した。鎮火後同家の焼跡を見分した司法警察員らは大人二名、子供二名の焼死体を発見し、調査を進めたところ、右各死体にはいずれも頭部を鉈あるいは薪割様の兇器で切りつけられたことによると思われる割創があることが発見され、殺人、放火事件(以下これを松山事件という。)の発生が明らかとなり、捜査が開始された。

請求人は、右事件当時、同県同郡鹿島台町平渡字上敷三七番地斎藤虎治方に祖母きさ、兄常雄夫婦らと同居していたが、同年一〇月二七日その友人金沢定俊及び清俊治と共に東京へ行き、同年一一月一日ころから東京都板橋区板橋町四丁目一〇八六番地山本文子方に寄宿し、次いで同月中旬ころから金沢明皓の経営する同町四丁目一〇八七番地精肉店「まる金」に住み込み働らいていたが、同年一二月二日午後六時四〇分板橋警察署内で、請求人が同年八月中に前記斎藤虎治方において高橋一が請求人の家人に対し先に請求人から暴行を受けたことを告げようとしたことに憤慨し、右高橋に対しその頭部等を二、三十回殴打し同人の左下顎臼歯部に全治一〇日間を要する外傷性単張性歯根膜炎の傷害を負わせたことを被疑事実として逮捕され(同年一二月五日には右被疑事実により勾留された。)、同年一二月三日から宮城県古川警察署で取調べられ同年一二月五日から松山事件についても司法警察員の取調を受けていたところ、翌六日午後八時過ぎから右松山事件は金員強取の目的で自分が犯したものであることを認めたので、司法警察員は松山事件についての請求人の自供を録取した書面を作成して同月八日古川簡易裁判所裁判官に強盗殺人、現住建造物放火を被疑事実として請求人に対する逮捕状の発布を求め、同日右逮捕状の発布を得て請求人を逮捕し、同月一二日には右強盗殺人等被疑事実により請求人を勾留し、請求人の取調が継続された。請求人は右取調期間中の昭和三〇年一二月六日から同月一五日まで検察官及び司法警察員並びに勾留質問にあたった裁判官に対し、松山事件が自己の犯行によるものであることを認めていたが、右一五日の夜取調官及び母宛の犯行否認の手記二通を書いて翌一六日朝これを取調官に差出したが、その後司法警察員の取調をうけるや、母親に会いたいために、犯人でないといえば出られると思って右の手記を書いたが、実は右の手記に書いたことは嘘であると再び自白し(但し右一六日以降の被告人の捜査官に対する各供述調書中、自白したものは一件記録中に存在しない。)たが、その後態度を変え、否認するに至った(右否認はその後確定裁判審理中を通じて維持されている。)。

捜査官は、請求人に対する取調と平行して、請求人の自白の裏付捜査を行ない、同月八日前記斎藤虎治方において請求人が使用していた掛布団等を押収し、また同月中に請求人が松山事件当時着用していたと思料される本件ジャンパーを請求人の兄常雄から、同じくズボンを前記山本文子から押収するなど諸般の捜査を遂げた結果、請求人が松山事件の犯人であると断定し、同月三〇日検察官は請求人を被告人とし、被告人の所為は強盗殺人、非現住建造物放火にあたるとして、仙台地方裁判所古川支部に公訴を提起した。

二  仙台地方裁判所古川支部は、右事件につき昭和三二年一〇月九日まで審理を重ね、同月二九日「請求人(以下本項及び三、四項に限り被告人という。)は、昭和三〇年一〇月ころまで宮城県志田郡鹿島台町内の飲食店、旅館、酒店などに六、七千円の借財がかさみ、とかく小遣銭に窮していたところ、そのころ同町内の料理店「二葉」の女中渡辺智子に愛着を覚え、同女と結婚したいとの望みをいだいたが、同女の雇主から同女に前借金のあることを聞かされ、金銭の入手に苦慮していたおりから、第一、昭和三〇年一〇月一七日宮城県遠田郡小牛田町で飲酒の上同日午後九時四九分小牛田駅発上り列車で午後一〇時過ぎころ鹿島台駅に下車し帰宅途中、前日の一六日午前九時ごろ同県志田郡松山町氷室新田一四〇番地小原忠兵衛の妻よし子が被告人方庭先で材木を買っていたことを想い起し、同人方で普請をするなら二、三万円の金はあるに相違ないと考え、自宅には帰らず自宅附近の株式会社東日本赤瓦製造工場東北工場内で休息しながら時間をつぶし、翌一八日午前三時半ごろ前記小原忠兵衛方に赴き、……同家内部の様子をうかがったが、忠兵衛とは顔見知りなので、いっそその全家族をおう殺したうえ金員を盗み取ろうと決意し、同家風呂場の壁に立てかけてあった刃渡り約八センチメートルの薪割り一丁を携え同家八畳の寝室に至り、熟睡中の主人忠兵衛(当時五三年)、妻よし子(当時四二年)、長男優一(当時六年)、四女淑子(当時九年)の各頭部を順次右薪割りで数回切りつけ、以上四名をいずれもそのころその場で死亡させて殺害したうえ、右寝室内にあったタンスを開いて金員を物色したけれども、現金が見つからないため金員強取の目的を遂げなかったが、第二、その直後、右犯跡を隠ぺいするため同家屋に放火してこれを焼き払ってしまおうと決意し、同家木小屋等から枯杉葉、木くず入りの木箱等を持って来て忠兵衛ら夫婦の死体の頭部あたりに置き、所携のマッチで枯杉葉に点火して発火させ、よって同一八日午前四時ころ人の現住しない右小原忠兵衛方家屋一棟を全焼させた。」旨の事実を、右裁判所で取調べられた関係各証拠、なかんずく、右犯行が被告人の所為であることを認めるに足る証拠として、被告人の検察官に対する昭和三〇年一二月一一日付供述調書(以下、昭和、年、月、日を省略して記載する。)司法警察員に対する三〇・一二・六、三〇・一二・七、三〇・一二・八、三〇・一二・九、三〇・一二・一〇、三〇・一二・一二、三〇・一二・一三、三〇・一二・一四、三〇・一二・一五(二通)各供述調書のほか押収してある掛布団一枚、司法警察員作成の三〇・一二・八、捜索差押調書、斎藤キサ、斎藤常雄、斎藤美代子の検察官に対する三一・二・四各供述調書(以上三通の供述調書は押収にかかる掛布団を被告人が使用していたことを認めているものである。)、三木敏行作成の三二・三・二三鑑定書、古畑種基作成の三二・七・一七鑑定書(右各鑑定書は右掛布団の襟当てに多数の人血による斑痕が付着し、その血液型は右血痕が一人の者に由来するものとすればA型、二人以上の者に由来するものとすれば、A型のみ、あるいはA型とO型とするものである。)を掲記し、被告人の右所為は強盗殺人罪及び非現住建造物放火罪にあたるとして、被告人を死刑に処するとの判決を言い渡した。

三  被告人は右判決に対し控訴の申立をしたので、仙台高等裁判所は昭和三四年四月二一日まで審理を重ね、右審理期間中に現場の検証、証人佐藤好一等の尋問などが行なわれたほか、平塚靜夫作成の三〇・一二・二〇、三〇・一二・二二、三一・二・六各鑑定書も提出され取調べられた。右各鑑定書及びその他の関係各証拠によれば、被告人が松山事件当時使用していたネズミ色ジャンパー一点、白ワイシャツ一点、白長袖丸首シャツ一点、エビ茶丸首セーター一点、白半袖丸首アンダーシャツ一点、白パンツ一点には血痕は付着していないこと、被告人が当時着用していた茶褐色ズボンの左下方には粟粒大の赤褐色の汚斑があり、その汚斑はベンチジン検査及びルミノール検査に対し陽性の反応を示すので血液斑と認められるが、資料不足のため、人血かどうかの判定及び血液型の検査はできなかったこと、右ズボンの両脇ポケット、股ボタン付近、右後部ポケット付近に汚斑が認められるが右汚斑の主要な原因は豚脂のような所謂動物性脂肪の付着によるものと考えられると鑑定されていることが明らかにされた。以上の審理の後右同裁判所は昭和三四年五月二六日被告人の控訴を棄却する判決を言渡した。右判決書において、その理由とするところを要約すると次のとおりである。

1  所論は被告人の自白には任意性がないと主張するが、被告人は本件強盗殺人放火事件(いわゆる松山事件)の容疑者として取調べられてから一日半足らずで自白し、その後約一〇日間右自白を維持していること、取調官の捜査につき自白強要あるいは誘導尋問をした事実は認められないこと、被告人は柔道初段で唐手をしていることを考えると、被告人が公判廷でいうとおり取調官が仮に指で額を押したり肩を押さえたとしても、右程度のことで精神的拷問をうけたものとは考えられないこと、被告人の自白の大綱において誘導尋問により供述したものと疑うべき事由のないこと、原審証人高橋勘市の証言によれば被告人の主張する事実は認められず、却って被告人自ら松山事件は自分でやったと話していたことが認められるから、被告人の自白の任意性を疑うべき事由は存しない。

2  所論は被告人の自白には真実性がないと主張するが、被告人の自白は掛布団の襟当てに付着していた血液により科学的に殆んど決定的に裏付けられ、アリバイに関する被告人の供述は支離滅裂で信用できず、却ってその自白は経験者でなければよく述べ得ないことを供述し、他の客観的証拠に合致し、その自白の内容に何等不自然不合理のところはなく、これらを総合すれば、被告人の自白の真実性を肯認するに十分である。

3  なお右掛布団襟当て及びジャンパー、ズボン等に関し、右判決の説示するところを見ると、次のとおりである。

(一) 原審鑑定人三木敏行作成の各鑑定書(三一・一二・一二及び同一四)、同村上次男作成の各鑑定書(三一・五・二、同三一)によれば、被害者忠兵衛の血液型はO型、妻よし子、男児優一、女児淑子のそれはいずれもA型であり、原審証人三木敏行の証言(三二・四・三〇)及び原審鑑定人古畑種基作成の鑑定書によれば、被告人及びその父、弟彰、妹幸子、征子はいずれもB型、祖母、母、兄常雄夫婦、弟勝、妹恵子はいずれもO型である。関係証拠により被告人が事件前から使用しその後東京へ行く日まで使っていたもので、被告人の上京後弟彰が使ったがそれ以外の者が使用したことのない証八号の掛布団には、原審鑑定人三木敏行作成の鑑定書(三二・三・二三)、同古畑種基作成の鑑定書及び原審証人三木敏行の証言によれば、その掛布団の主として襟当ての部分に限り人血が付着していて(布団表側に該当する部分の襟当てに約三五個、布団裏側に該当する部分の襟当てに約五〇個の血液斑痕があって、右表裏両側とも人血)、それが一名の血液に由来するものであればA型で、二名以上の血液に由来するものであれば、更にA型の人とO型の人とが混在していることが認められる。そして被告人の捜査官に対する供述によれば、被告人は犯行後自宅へ帰る途中大沢堤の溜池で血のついたジャンパーとズボンと手足を洗い、顔にも血がついたかも知れないと思い両手で顔を洗ったが、頭髪は洗わなかったことが認められるのであり、右襟当ての血液は噴出或は滴下して付着したものではなく、軽く接触したり擦りつけたりしたものと認められ、しかもA型の血液の付着した事情は被告人側では全く説明ができないのであるから、被告人の頭髪についた血液が襟当てに付着するか又は頭髪から被告人の手につき更にこれより付着したものとみられる。従って右襟当ての血液は被害者忠兵衛のみの血液ではないが、他の三名の被害者のうちの一名、二名ないし三名、又は被害者四名全部の血液が付着したものである可能性が極めて高いと認めざるを得ないのである。

なお被告人の着用していたジャンパーとズボンを証拠に出さないことを攻撃する点は、当審で取調べた平塚靜夫作成の鑑定書二通(三〇・一二・二二及び三一・二・六)によれば、当時被告人の着用していたジャンパー及びズボンには血痕斑は発見されなかったが、被告人の捜査官に対する供述等によれば、ジャンパーとズボンは犯行直後に大沢堤の溜池で土を混ぜてゴシゴシ洗ったばかりでなく、その後ジャンパーは昭和三〇年一〇月二七日兄嫁美代子が、ズボンは同年一一月一五日ころ東京の上部道子が洗ったことが明らかであるから、ジャンパー及びズボンに血痕斑を発見しなかったとしても必らずしも異とするに足りない。右の次第で被告人の自白の大綱は右掛布団襟当ての血痕によって科学的に殆んど決定的に裏付けられているといわざるを得ない。

(二) 被告人の捜査官に対する自白は、経験者でなければよく述べ得ないことを供述しており、その自白は他の証拠により認められる事実に合致し、不自然不合理な点がないから信用できる。特に右自白中「帰る途中山道と割れ山の県道に出る中間頃に行った時振返ると、忠兵衛方の方が赤くなって燃えていた。……その振向いた時両手がズボンに触ってヌラヌラしたので、血が一杯ついていると感じた。それまでは夢中だったので感じなかった。まだ真暗なので何処に付いているか判らないので、そのままでは帰れないと考え、家の方へ行く途中大沢堤の溜池でジャンパーとズボンをぬぎ、最初はズボン、次にジャンパーを土手の土を取って混ぜて洗い、ギッシリしぼってまたはいた。ズボンをはいている時船越の方からトラックが来る音がしたので見つけられては大変と思って、土手を山の方へ歩いて杉山にかくれた。……杉山の休んだ所へ行く途中大体中間位の所でトラックが通り過ぎた。ライトはつけていたように思う。……洗濯する前に手に血がついたように感じたので手を洗い、顔にも血が付いているかも知れないと思い両手で顔を洗い、髪は洗わなかったから或は血痕が付いてたかも知れない。」「約二時間、杉林の中で休み薄明るくなってきたので六時前後ころ帰ったが、途中下駄を持って裸足になって走って行ったが、その間誰にも遭わなかった。」との点は被告人の自供に基づき鑑定した永瀬章作成の鑑定書によれば、本件被害者家屋に被告人の自供する方法で放火して、被告人の自供する振返った地点で空が赤く見えるまでの所要時間は二分半ないし五分であると認められること、関係証拠により被告人の自供する時間帯に鳥海等の運転するトラックが船越から鹿島台に向かってライトをつけて進行したことが認められること、ジャンパーやズボンを洗う時土を混ぜて洗ったとか、手足や顔を洗ったが頭髪を洗わなかったとかの供述は経験者でなければよく述べ得ないところであること、原審証人佐々木しづをの証言によれば、同女は朝方五時前ころ同人方前の県道を一本松から瓦工場の方へ素足でサッサッと走るように聞える足音を聞いているというのであるから、右証言により、被告人が裸足で帰ったとの自白も客観的に裏付けられ、経験者の言として信用するに足りる。

四  請求人は右控訴審判決に対し、上告を申立てたが、最高裁判所は昭和三五年一一月一日上告棄却の判決をしたので、前記第一審判決は確定した。

五  請求人は右確定判決に対し、昭和三六年三月三〇日仙台地方裁判所古川支部に再審請求(以下これを「一次再審請求」という。)をしたが、同裁判所において昭和三九年四月三〇日再審請求棄却の決定がなされ、この決定に対する即時抗告につき昭和四一年五月一三日抗告棄却の決定が、次いでさらに右決定に対する特別抗告につき昭和四四年五月二七日特別抗告棄却決定があり、一次再審請求についての請求棄却決定は確定した。右一次再審請求の理由と請求棄却決定の理由の骨子は原決定(三八頁以下)記載のとおりである。

六  請求人は昭和四四年六月七日前記確定判決に対し仙台地方裁判所古川支部に再び再審請求(以下これを「本件請求」という。)をし、同裁判所は昭和四六年一〇月二六日本件請求を棄却する旨の決定をし、請求人からこれに対し即時抗告をしたところ、抗告裁判所は昭和四八年九月一八日右原決定を取消し事件を仙台地方裁判所に差戻す旨の決定をしたので、仙台地方裁判所が本件請求を審理することとなり、同裁判所は昭和五四年一二月六日本件について再審を開始する旨の決定をしたので、検察官は右決定に対して即時抗告を申立てた。右第二次再審請求の理由、右審理期間中に提出された証拠、検察官の意見、事実の取調は原決定第四(六〇頁以下)に記載するとおりである。

第二原決定の理由の要旨

原裁判所は、仙台高等裁判所から前記のとおり本件の差戻しを受け、審理をした後、前記再審開始決定をした。その理由の要旨は以下のとおりである。

一1  前記差戻決定の趣旨は、原審(差戻し前の第二次再審請求受理事件)の審理手続において証人石原俊の尋問を決定しながら、その尋問期日を取消したのみで、弁護人からの同証人尋問期日指定の申立てに応答することなく、請求人に対して事実取調終了後あらためて意見を述べる機会があるとの期待をいだかせたまま、右意見を聴くこともなく再審請求を棄却したことが刑事訴訟規則二八六条に反する手続の違背に当るとしたものであり、再審請求理由についての判断に誤りがあるとしたものではない。右判断のうち下級審である当裁判所を拘束するのは、前記原決定(仙台地方裁判所古川支部昭和四六年一〇月二六日決定)には訴訟手続の法令違背があるとの趣旨のみに限られ、その外には手続の面でも実体判断の面でも何らの拘束力もないものと解すべきである。

2(一)  刑事訴訟法四三五条六号所定の「明白性」の判断については、最高裁判所昭和五〇年五月二〇日決定(いわゆる白鳥事件決定)及び同裁判所昭和五一年一〇月一二日決定(いわゆる財田川事件決定)に示された判断の方法と基準にしたがって行なうのが相当であると思料する。

(二) ところで本件確定判決において有罪の事実認定の心証を形成するに至った証拠の構造のうち中核をなすものは「本件強盗殺人、放火犯行とその前後にわたる行動について、これを認める請求人の自白があり、この自白は請求人と犯行とを直接に結びつけるものであるところ、自白の任意性には疑いがなく、その真実性については請求人使用の掛布団襟当てに三木鑑定及び古畑鑑定により多数の血痕があり、この血痕はA型か又は二名以上の血液に由来するものならばその他にO型の人血が混在しているものとされており、この鑑定結果と他の証拠を総合すれば、右血痕は被害者らの全部又は一部の者の血液が付着してできた可能性が極めて高いと認められるから、この血痕の存在により自白の大綱が科学的に殆んど決定的に裏付けられていること、自白の内容は経験者でなければよく述べ得ない供述を含み、他の証拠や事実とも符合し、供述に不自然、不合理なところがないこと、その外自白の動機及び経緯に照らしても十分その真実性は認められる。これに対し平塚静夫作成の鑑定書二通(三〇・一二・二二及び三一・二・六)によれば請求人が事件当夜着用していたと認められるジャンパー、ズボンから血痕斑が発見されなかったことは、事件後同鑑定までジャンパー、ズボンがそれぞれ二度にわたって洗濯をへているので異とするに足りず、自白の真実性を否定することにならない。」というところにあるものと思料される。

(三) 本件請求理由の大綱は掛布団襟当ての付着血痕が新証拠に照らして請求人が犯人であることを認める証拠としての価値を失ったこと、請求人のジャンパー、ズボンには当初から血液が付着していなかったことが新証拠により明らかになり、血がついたという供述とジャンパー、ズボンの処理についての供述が虚偽であり、これが請求人の自白全体の真実性を失なわせるにいたるばかりか、自白の内容も不自然、不合理であり、総じて自白が虚偽と認められること等にあり、それは前記確定判決の証拠構造において二審判決が指摘した点の殆んどすべてを網羅し論点としているものである。

(四) したがって本件請求の理由において問題とされている論点は、新証拠を加えて総合検討した場合に、有罪の心証を形成した確定判決の証拠構造がなおも維持できるか否かの問題と、その範囲と実質を同じくするものであるから、当裁判所が本件請求の理由の当否を判断するに当っては、請求人主張の論点に対応しながら、確定判決の証拠構造を新証拠を加えて総合検討し、新証拠が確定判決の審理中に提出されていたとすれば合理的な疑いが生じて、その証拠構造の全部又は重要な一部が維持できるか否かを検討するという方法によるのが適切である。

(五) この判断に用いられる新証拠は証拠方法又は証拠資料のいずれかにおいて新規性のあるものであればよく、それは再審請求の審理のために新たに取調べられた証拠であって確定判決の審理において提出された証拠と対比して新規性のある証拠をすべて含むものである。また本件においては請求理由の実質が請求人の自白の真実性を弾劾するものであることと、自白の内容をなす個々の供述は特段の事情がない限り相互に有機的な関連を有するものとして統一的に把握されるべきものであることの特質に鑑み、自白の内容をなす個々の供述部分の逐一については新証拠がなければその供述部分の真否ないしは合理、不合理の検討をなしえないものではないと解する。

(六) さらに前記の判断に当っては、確定判決の審理において取調べられた全ての証拠及び一次再審請求の審理において提出された証拠も全て判断の資料に供することができる。但し一次再審請求の手続において提出された証拠は、もしその証拠が一次再審請求において再審理由として主張された事実の証拠であり、争点としてすでに実質的な判断を経たものであるときは、刑訴法四四七条二項の規定により、更にその点について新規の証拠がある等の特段の事情がある場合のほかは、その判断に覊束性があり、その証拠を判断の資料に供するにつき、右覊束による制限があるものと解すべきである。

としたうえ、請求理由についての具体的検討に入り、要約以下のとおり判断した。

二  掛布団襟当ての血痕と三木、古畑鑑定の証拠価値

当裁判所が、新たに提出された証拠(そのなかには新規性のある証拠が含まれている。新規性のある証拠を以下「新証拠」という。)を従来の証拠(確定判決に挙示されなかった証拠を含む。)に加えて総合検討した結果、前記証拠構造のなかで請求人の自白の大綱が科学的に殆んど決定的に裏付けられているとされた掛布団襟当ての血痕のもつ証拠価値は次の理由により二重の意味で著しく減弱されることとなった。

1  先ず右血痕に関する三木、古畑両鑑定の結論は、新証拠である須山弘文の五二・八・七鑑定書、木村康の五三・九・二七鑑定書及び証人木村康の五三・一二・一八、同須山弘文の五三・一二・一八各証言(以下右須山、木村鑑定書及び証人木村、同須山各証言を一括して須山、木村鑑定という。)等の各証拠に照らし、厳密には襟当てに存在する多数の血痕様斑痕が同一の機会ないしは同一の機序により生じたという前提条件のもとでのみ妥当するものであって、請求人の自白を含め、すべての証拠を合わせて検討しても、結局その前提条件の充足が完全には解明されない本件においてはその結論がそのままでは妥当しないことが明らかとなった。

もっともこのことは、三木、古畑両鑑定の証拠価値が皆無に帰したことを意味するものではなく、これらの鑑定は掛布団襟当てに存在する多数の斑痕のうち少くとも一部に被害者らの血液と同型の人血が付着していることの蓋然性を認める資料となるものであり、この限度においてはなお証拠価値を有し、請求人の補強証拠となり得るものである。

しかし、その証拠価値は、前述の前提条件の充足が解明されこれらの鑑定の結論がそのまま本件に妥当する場合に比し著しく減弱したものというべきである。

2  次に新証拠である宮内鑑定書(四四・三・一〇)、木村鑑定書(四四・五・一)等の証拠及び従来の証拠である平塚鑑定書(三〇・一二・二二、確定二審判決審理中に取調べられた。)、船尾忠孝作成の血痕検査成績と題する書面(三七・六・二五、以下血痕検査成績という。)及び船尾忠孝証人の三九・一・一四証言(以上は一次再審審理中に取調べられた。)を総合して考察すると、後述するとおり請求人の事件当夜の着衣であるジャンパー、ズボンについたとされる返り血が当初から付着していなかった蓋然性が高いと認められる。このことからジャンパー、ズボンに血液が付着しないにも拘らず、請求人の頭髪にのみ返り血が付着し、約二時間後に就寝に際して使用した掛布団の襟当てに二次的、三次的に血液が付着することによって多数の血痕斑が生じたであろうかについて多大の疑問を生じさせることになった。

3  そして以上の点を総合して更に推究するときは、(一)掛布団襟当ての多数の斑痕は被害者らの全部または一部の者の血液が血痕として付着したことによって生じた可能性が高いといえるか否かと、(二)その血痕が請求人の犯行を介して生じたものとみられることの蓋然性の両面においてそれぞれ疑いが生じ、二重の意味で襟当て血痕の証拠価値は著しく減弱されるにいたったといわざるをえない。

三  ジャンパーとズボンの血痕反応について

1  請求人の主張の要旨と証拠の新規性

(一) 請求人の主張は要するに、請求人の供述によれば、犯行後忠兵衛方からの帰途ズボンに触ったらヌラヌラとし、血がいっぱいついたと感じたことになっているが、後記新証拠によればジャンパー、ズボンには当初から血液の付着がなかったことが認められるから、請求人の右供述は虚偽であり、ジャンパー、ズボンに血液が付着したことを前提とした着衣の洗濯とかその後の着衣の処置等請求人の一連の行動についての供述はすべて虚偽であり、ひいては犯行に関する自白の真実性も失われるというのである。

請求人が右主張の根拠として提出した新証拠のうち主なるものは、宮内義之介の鑑定書(四四・三・一〇、中島敏の「血痕の血液型検査に関する研究」と題する論文添付)、木村康の鑑定書(四四・五・一)、証人木村康の各証言(四六・七・九及び五一・一二・二)、(以下右各鑑定書及び証言を一括して「宮内、木村鑑定」という。)証人斎藤ヒデ(五一・七・二二)及び同青木正芳の各証言、斎藤美代子及び遠藤(旧姓上部)道子の弁護人に対する各供述録取書面である。

(二) ところでジャンパー、ズボンの血痕の有無については、仙台地方裁判所古川支部の有罪判決に対する控訴審の審理中に初めて、三〇・一二・二二平塚鑑定書(ベンチジン法による検査の結果ズボンの一個所から微量の血痕反応が認められた外はジャンパー、ズボンに血痕反応を認めないとするものである。)が取調べられ、二審判決はこの点についてジャンパー、ズボンが事件後平塚鑑定にいたるまでの間それぞれ二回ずつ洗濯されているので、血痕斑が発見されなくても異とするに足りないとしたことは前述のとおりである。

また請求人の右主張は、一次再審請求でも主張され、その証拠としてジャンパー、ズボンにつきベンチジン直接法により血痕反応の有無を検査し、ズボンの一個所に微量の人血反応があった外は血痕反応を認めないとする船尾忠孝の血痕検査成績、洗濯後の血痕についてベンチジン直接法及び間接法により血痕反応の有無を実験し、ズボンにヌラヌラと多量の血液が付着した場合、普通の方法で二回洗濯してもベンチジン反応が全く陰性化することはなく、それが陰性であるとすれば当初から血液が付着していなかったと推論することが法医学の実際上極めて妥当であるとする船尾忠孝の松山事件報告書が提出取調べられ、併せて同人を証人として取調べたが、一次再審の抗告審において、結局これらの証拠は、血液の付着量、乾燥の程度、洗濯の状況、時間の経過等の条件のいかんにより、ベンチジン法による血痕検査成績が陰性化することもありうるという他の証拠があり、これと対比して反論の余地がないほど明白なものとは認められなく、また平塚鑑定も綿密な検査であったかどうかは疑わしいとして、請求人の主張が排斥された。

(三) 検察官は、本件ジャンパーとズボンの血液反応の有無は右一次再審請求の決定においてすでに判断されているのであるから、本件請求において、同じ方向の証拠をもとに一次再審請求と同一の事実を主張することは同一再審理由を繰り返し主張することになり許されないと意見を述べている。

しかし、本件請求において新証拠として提出された各証拠のうち宮内、木村鑑定は、従来の鑑定において採用された血痕検査の方法の外、抗人線維素沈降素吸収試験、鏡検及びフィブリンプレート法を併用して血痕の有無を検査し、洗濯後の血痕についてもこれらの方法による対照実験をし、その結果をもとにジャンパーとズボンに当初から血液の付着がなかったものとする鑑定で、従来の鑑定とは鑑定の方法を異にする新たな証拠と目され、その他の証拠はフィブリンプレート法による血痕検査において血痕反応を陰性化するおそれのある条件として洗濯の際の洗剤の使用、加熱、保管状態の不良等の特別の事情が存在しなかったことの立証資料であって、従来の資料にはなく、これも新たな証拠であることに疑いがない。

したがって、本件請求において一次再審請求と同一の事実を主張してもその証拠を新たにするものであるから、刑訴法四四七条二項の同一の理由の主張には当らないというべきである。

2  考察

(一) ジャンパーとズボンの任意提出、押収、鑑定処分、鑑定結果に関する関係各証拠並びに押収にかかるジャンパーとズボン(仙台地方裁判所昭和五一年押第一四号の二、三、以下本件ジャンパーとズボンという。)を総合すると、本件ジャンパーとズボンは平塚静夫鑑定書(三〇・一二・二二)が鑑定の対象としたジャンパーとズボンと同一のものであると認められるところ、本件ジャンパーは昭和三〇年一二月三日請求人の兄常雄から司法警察員に任意提出され、本件ズボンは同月二日山本文子から司法警察員に任意提出され、同年一二月九日宮城県警察本部刑事部鑑識課の平塚静夫に対し血痕の有無等についての鑑定嘱託がなされたのにともない同人に交付され、同人による同月二二日付の鑑定書の鑑定対象とされたこと、本件ジャンパーとズボンは確定第一審、第二審のいずれの審理においても証拠として提出されず、従って本件ジャンパーとズボンを請求人が本件犯行当夜着用していたか否かについても直接審理されていないけれども、本件ジャンパーとズボンの血痕付着の有無に関する前記平塚鑑定書が右二審において証拠として取調べられ、その結果二審判決は請求人が本件犯行当夜右鑑定の対象とされたジャンパーとズボンを着用していたことを認め、このことを前提として、右平塚鑑定書の鑑定対象とされたジャンパーとズボンに血痕斑が発見されなくても二度の洗濯をしているので異とするに足りないと判断していることが明らかである。

そうだとすると、確定判決の証拠構造が新証拠に照らして維持するに耐えうるか否かを検討する本件請求の審理においても、請求人は事件当夜本件ジャンパーとズボンを着用していた蓋然性が高いものとして、それを前提に判断すべきものと思われる。

(二) 宮内鑑定書(四四・三・一〇)、木村康の四六・七・九及び五一・一二・二各証言によれば、本件ジャンパーとズボンについて血痕の有無の検査及び対照実験を行なったところ、次の成績が得られたことが認められる。

(1) 本件ジャンパーとズボンについて肉眼的検査をした後透過光線によって褐色の斑痕が認められたジャンパーの九個所及びズボンの一七個所(それ以外には斑痕を認めず、ルミノール撒布においても陰性であった。)を切り取りマラカイトグリーン試験を施していずれも陰性を認め、顕微鏡検査により斑痕の多くは布地の繊維自身が一部褐色に汚染されたもので、人線維素の付着を認めず、一部斑痕には布地繊維表面に暗褐色の付着物が認められたので、抗人線維素沈降素吸収試験により人線維素の有無を検査したところいずれも陰性であった。さらに前記各斑痕についてフィブリンプレート法により検査したが陰性であった。

(2) 対照実験として本件ジャンパーと同質のコール天地及び本件ズボンと同質の綿ギャバジン地に人血液を付着させ、三〇分からそれより長い六種の時間帯にわたり床上に放置して自然乾燥させた後砂をふりかけて水でもみ洗いし、室内において自然乾燥させ、コール天地は九日目に、綿ギャバジン地は二九日目に固型洗濯石けんを用い水でもみ洗いし、屋内に吊して乾燥させた後、前記同様の検査をした結果、三〇分後洗濯のものはマラカイトグリーン試験、ルミノール試験は陰性であったものの、顕微鏡検査の結果布地の繊維間に人線維素の付着が認められ、抗人線維素沈降素吸収試験及びフィブリンプレート法による試験はいずれも陽性であり、その他のものも検査結果はいずれも陽性であった。

(三) 木村鑑定書(四四・五・一)及び前記証人木村康の四六・七一九及び五一・一二・二各証言によると、木村康が本件ズボンについて、先に平塚静夫の三〇・一二・二二鑑定書及び船尾忠孝の血痕検査成績において指摘された各一個の血痕反応が認められた個所と思われるところの周辺及び同ズボン布地の他の部分についてベンチジン、マラカイトグリーン、ルミノール、抗人ヘモグロビン沈降反応及びフィブリンプレート法各試験をした結果、これらはいずれも陰性であった。

(四) そこで宮内鑑定における本件ジャンパーとズボンの血痕検査とその対照実験の成績が何に由来するものであるかについて比較検討する。

(1) フィブリンプレート法は人血中に特異的に多量に含まれるプロアクチベーターないしアクチベーターが血液の凝固の際に形成される人線維素(フィブリン)の中に取り込まれるのでこれに着目し、人血の証明をする方法で、極めて鋭敏であり、人血が布片に付着した場合には洗濯後の血痕の検査も可能であり、水洗の場合は七回まで、洗剤使用の場合でも二回まで血痕検査が可能であるとされている。

(2) フィブリンプレート法により人血の存在が証明されない結果を生じる理由としては、人血液の付着がない場合、人血液が付着したが洗濯その他の事由により人線維素が破壊脱落して残存しない場合、人線維素が付着残存しているが、加熱、薬品による影響、紫外線の照射、長期間の経過にともなうかび等の酵素の作用等を原因として人線維素中のプロアクチベーターないしアクチベーターが変性してしまった場合が考えられる。

(3) しかるところ右のようにフィブリンプレート法により人血の存在が証明されない結果を生じるまでの各原因事実は、記録を調査検討した結果いずれも認められない。従って本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかったとみるべき蓋然性があるといえる。

(五) 宮内鑑定において血痕検査をした本件ジャンパーとズボンの斑痕部分は、平塚静夫の三〇・一二・二二鑑定のために切り取られた部分と異なる部分であるが、本件ジャンパーとズボンの現状を見、かつヌラヌラと感じたという請求人の供述が事実とすれば血液付着の部位は前記平塚鑑定により切り取られた部分に限られる筈はなく、他に斑痕部分が残存する筈と思われるから、宮内鑑定においても少くとも一部にでも血痕検査の成績が陽性を示すものが認められてよく、したがってヌラヌラと感じた量の血痕付着を解明するについては、前記平塚鑑定における切除による影響は殆んどないとみてよい。

(六) 木村鑑定において、フィブリンプレート法による検査成績が陰性となったことは、平塚静夫の三〇・一二・二二鑑定書及び船尾血痕検査成績に記載された各検査時に資料(血痕付着部分)を使い果したか、前二者の検査部位が木村鑑定のそれと一致しないことに原因したものとみるべき蓋然性が高く、右平塚、船尾両鑑定から木村鑑定時までの長期間の推移やその他の条件の介入により本来陽性であるべきものが陰性化したのではないかを考慮する必要がないことは、前記宮内鑑定について考察したところと同様である。

3  請求人の自白及び掛布団襟当ての血痕の証拠価値に及ぼす影響

以上検討したように、請求人が事件当日着用していた本件ジャンパーとズボンには、新証拠により当初から血液の付着がなかった蓋然性が高いところ、このことは一つにはジャンパーとズボンに血液がついたという請求人の供述及びその前提のもとにジャンパーとズボンを洗濯したという請求人の供述の真実性に重大な疑惑を抱かせるに至らしめるものであり、二つには掛布団襟当ての血痕に関しても、確定判決で認定の殺害状況に照らしジャンパーとズボンに血液が付着しないのに頭髪に血液が付着してこれが二次的、三次的に掛布団襟当てに付着することにより多数の血痕斑が生じたであろうかについても疑いを容れることとならざるを得ない。

そして更に、後に検討のうえ説明するように、請求人が虚偽の自白を誘発し易い情況のもとに自白をした疑いがあることを考慮し、請求人の本件ズボンへの付着の認識、本件ジャンパーとズボンの洗濯及びその後の処置に関する供述内容を見ると、右供述部分は自己の経験しない虚偽の事実を次々に供述したものと認めるほかはないのである。

四  薪割りが本件犯行の兇器ではないとの主張について

請求人のこの点の主張はすでに一次再審請求でも主張され、争点として判断をへて排斥されているところ、本件請求においては新証拠として三一・一・一二宮城県警察本部長の刑事局長等あての報告書を証拠として追加し、それによれば、忠兵衛らの死体を解剖した三木敏行及び村上次男が解剖所見にもとづいて考察した結果兇器として鉈の可能性があることを指摘したというのである。

しかし右報告書の記載によっても薪割りが兇器であることの可能性を否定していないのであるから、右報告書は請求人の主張を根拠づける証拠価値をほとんどもたないと考えられる。

このように新証拠として付加された証拠に実質的な証拠価値がない場合、これを従来の証拠に加えて総合判断するとすれば、その判断作業の実質は一次再審請求において争点として実質的な判断をへた事実と証拠について更に同一の判断作業をくり返すことになり、刑訴法四四七条二項の規定に照らし許されないというべきである。

五  その他の自白の真実性

二審判決は、請求人が松山事件について本格的な取調べを受けてから僅か一日半ほどで自白したこと、請求人がアリバイに窮した後、同房者から衣類の血は洗っても薬を使って調べれば判ると話され、自白する気になったという自白の動機を根拠に自白の任意性を認め、請求人の自白が他の証拠により認められる事実と符合し、経験者でなければよく述べえない事項を含むとして、これを根拠に自白の真実性を肯定し、その具体的供述内容として多数の点を挙げている。

そこで自白の真実性を以下検討することとし、自白の任意性ないしは自白の経過や動機を先ず検討し、次に自白の個々の供述内容を検討する。

もっとも個々の供述内容の検討を進めるについては、個々の供述について必らずしも逐一新証拠が存在するとは限らないが、自白は特段の事情がない限り有機的な関連をもつものとして統一的に把握すべきものであり、またすでに掛布団襟当ての血痕の証拠価値は新証拠に照らして著しく減弱したものと認められ、ジャンパーとズボンの血痕不発見も当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いと認められたことにより、ジャンパーとズボンへの血液付着及び洗濯についての請求人の供述の真実性に疑問が投じられた事情があるから、個々の供述につき特段の新証拠のないものも真実性の再検討をすることは、証拠の総合評価上欠かせないことであり、このようにしても確定判決の心証形成にみだりに介入することには決してならない。

1  自白に至る経過と動機

新規性のある高橋勘市の三〇・一二・四、同五、同六、同七、同八及び同一〇各員面調書並びに同人の三〇・一二・一六及び同一九各検面調書と旧証拠を総合して検討すると、請求人は昭和三〇年一二月二日の逮捕以来連日松山事件当夜の行動について取調べをうけ、その行動の記憶が甦らないままに幾つかの思いつきの供述をしたが、いずれも裏付けができずに追及を重ねられて混乱し、捜査官の追及から免れようとし、同房者の高橋勘市から未決監の待遇のよさ等を教えられ、同人の示唆による影響を受けて自白するに至った疑いが濃い。そうだとすればこれが直ちに自白の任意性を失なわせるか否かはともかくとして、自白全体の真実性に至大の影響をもつものとして、個々の供述の真実性評価に当り、これを根底に据えて考慮すべきものと思われる。

2  個々の供述内容の真実性

(一) 犯行の動機に関する旧証拠を検討すると、請求人の確定判決認定に沿う供述には不自然な部分やその裏付けにおいて不十分な点があり、また捜査官の誘導によって供述をえることが可能な部分が含まれるから、真実性の高いものとは認められない。

(二) 犯行の内容に関する供述中、本件兇器と薪割りの所在場所に関する供述は岩窯の後の土間、縁側続きの板の間、被害者方屋外の風呂場の壁と変転し、請求人がその場限りの思いつきの供述をしていた疑いが極めて濃く、その他の部分も思いつきで供述しうるか、捜査官の取調べに合わせて供述しうる事項が多く真実性は高いとはいえない。

(三) 瓦工場での休憩に関する供述は、請求人が思いつきで述べたという疑いを容れる余地がある。

(四) 割山から入る山道の往復に関する供述は、客観的な裏付けに乏しく、かつ請求人の本件以前の右山道通行の経験を考えると、必らずしも本件当夜の経験を述べたものとはいえない。

(五) 忠兵衛方屋内の状況に関する供述には一部経験的事実の供述と見る余地があって真実性が高いと認められる供述があるものの、大部分は必らずしも経験者でなければ述べえないとはいえないものである。

(六) 忠兵衛方家族が寝ていた順序に関する供述は客観的事実に符合するが、新聞記事を見て覚えていたことを供述したとの請求人の弁解を容れる余地もあり、捜査官の取調べに合わせて供述することも不可能ではない。

(七) 杉葉及び稲杭についての供述中、稲杭についての供述は事実に符合し、かつ秘密性の高い供述といえるが、杉葉についての供述は必らずしも経験事実の供述とはいえない。

(八) ジャンパーとズボンの血痕付着とその洗濯とその後の処置

この点に関する請求人の供述は、先に検討したところにより、請求人が捜査官の追及に合わせて自己の経験しない虚偽の事実を次々に弁解し糊塗してきたものとみるほかない。

(九) 逃走中のその他の出来ごと

請求人は、犯行後午前三時三〇分ころ忠兵衛方を出て一、二分燃え上るかどうか様子を見て逃走の途中、割山から大きな道路に出るとき半鐘の音を聞いたこと、ジャンパーとズボンを大沢堤の溜池で土をまぜて洗い、その際、手、足、顔を洗ったが頭髪を洗わなかったこと、洗ったズボンをはいているときに船越の方からトラックが近づいて来たので一〇〇メートル位入った杉山の中にかくれ、腰を下したときサイレンの音を聞いたこと、その後約二時間杉山の中で休んだあと下駄を持ち素足で走って午前六時かその前ごろ家に帰ったことを自白調書の中で述べている。

右供述中、手足や顔を洗い、頭髪を洗わなかったという供述は、経験者でなければ述べ得ない供述と言えないばかりか、ジャンパーとズボンの洗濯について疑いが濃い以上、同様に疑問とならざるを得ない。

そしてその余の供述部分は、すでに捜査官が知っていた事実が、現地の事情に通じている請求人にとって経験しないでも思いつきで述べうる事実に関する供述であるから、真実性の高い供述とは言えない。

(一〇) 自在鉤の発見

二審判決は、事件現場から自在鉤が発見されたのは、請求人の自供にもとづき捜索した結果であるとし、これを自白の真実性を裏付ける根拠の一つとして挙げている。

しかし、一審判決の審理中に取調べられた司法警察員の三〇・一二・七発見報告書、請求人の司法警察員に対する三〇・一二・七及び同八各供述調書を対比すると、自在鉤は請求人の自在鉤に関する自白以前に発見された疑いがある。

そして裁判不提出記録中の矢吹徳之進の三〇・一二・八、尾形ミユキの三〇・一二・八、新田としの三〇・一二・八、大窪留蔵の三〇・一二・八各員面調書(これらの証拠はその内容に照らし、従来の証拠資料にはなく、新規性のある証拠である。)によれば忠兵衛方の六畳間には木の鉤が、台所下屋の方には鉄の角棒で出来た自在鉤がそれぞれ下げてあり、下屋の鉄の鉤は事件の前々日に大工大窪留蔵が下屋を取りこわしたのにともない取り外して風呂場の前においたことが認められるのであり、前記捜索により発見したという六畳間切り炉付近に果たして発見にかかる鉄製の鉤があったかについても疑問なしとしないのである。

結局、自在鉤については、請求人が捜査官の取調べに対し思いつきで述べたとしても必らずしも不合理とはいえなく、また自在鉤が請求人の自供にもとづいて現場から発見押収されたという点についても疑問があり、この点の供述も真実性が高いとはいえない。

(一一) 録音テープ

押収にかかる録音テープ(昭和五一年押第一四号の七)によると請求人は昭和三〇年一二月九日司法警察員に対し、松山事件について、犯行の動機、犯行に至るまでの経過、犯行前の被害者方の状況、犯行の方法、態様、犯行後の行動を取調官の質問に応じて淡々と供述したうえ、最後に犯行についての反省と自責の念を述べ、これら一連の供述が録音されたことが認められるのであるが、この録音の時期、内容及び供述態度を総合しても、請求人の自白に高度の真実性があるとは認め難い。

3  自白の総合考察

以上考察してきたところを総合するに、請求人の自白には前後変りのない供述と、変転した供述がある。

そのうち前後変りのない各供述は、供述の全部又は一部についてその裏付けとなる証拠や事実があらかじめ知れている事実関係についての供述及び供述の真否を批判検討するに適した裏付資料のとれない事実関係についての供述であり、いずれも捜査官の誘導、供述者の思いつき等により、自己の経験しない事実を供述した疑いがあり、その真実性は必らずしも高いとはいえない。

次に前後変転のみられる各供述は、供述の真否を批判する証拠や事実関係が後に現われてきて供述に矛盾が生じたもので、しかも犯行の重要な一環をなす兇器の所在場所、放火材料及び放火場所に関する供述と、犯行自体ではないが決して末節の事柄とはいえない犯行と密接な関連を有する着衣の処置、すなわち返り血の付着した着衣を洗濯した後の処置に関する請求人の一連の行動の供述である。以上の事実に関する供述に前後変転がみられることは単なる記憶違いとは認められず、請求人が自己の経験しない事実を思いつきで供述し、その矛盾が現われるや更に辻褄を合わせようとして、その場限りの弁解により糊塗してきたことによる疑いが強い。

そのうえ、ジャンパーとズボンに初めから血液が付着していなかった蓋然性が高いと判断され、請求人の自白はその重要な部分において、虚偽であることの明白なあるいはその疑いの濃い供述が介在することが明らかとなったばかりか、自白の動機、経緯についても虚偽の供述を誘発し易い状況のもとで自白がなされた疑いが新証拠に照らして濃くなり、さらに二審判決において自白の科学的かつ決定的な裏付けとされた掛布団襟当ての血痕についても、その判断の根拠となった血痕鑑定の証拠価値が著しく減弱したものと認められるに至った以上、このような問題点を含みながら、なお犯行を認めた自白が真実であると認められるほどの高度の真実性は窺われない。

六  その他の問題

二審判決は、請求人のアリバイが証明できないことを、請求人の犯行を認める一資料としているが、本件の場合、請求人は事件当夜の記憶がないのに捜査官から追及されて思いつきで述べた疑いが濃く、本件の場合、請求人の犯行を認める資料とするのは必らずしも適切ではない。また留置場の落書きは、請求人の自白の真実性を裏付ける資料として価値のあるものとは思えない。

七  結論

以上の次第で確定判決の証拠構造は新証拠に照らしてその重要な部分が動揺し、もし新証拠が確定判決の審理中に提出されていたとすれば、有罪の事実認定の正当性について合理的な疑いが生じたものと認められるので、請求人に対し、無罪を言い渡すべき明らかな証拠を発見したときに該当するというべきである。

第三当裁判所の判断

検察官の抗告理由の大要は、原決定が、(一)新証拠である須山、木村鑑定により本件掛布団襟当ての血痕についての三木、古畑鑑定の証拠価値が減弱するとした判断、(二)新証拠である宮内、木村鑑定により本件ジャンパーとズボンに当初から人血が付着していなかった蓋然性が高いとした判断、(三)以上の二点から掛布団襟当てに被害者らの全部又は一部の者の血液が付着した可能性及びその血痕が請求人の犯行を介して生じたものとみられる蓋然性について疑いが生じるとした判断、(四)請求人の自白の真実性には疑いがあるとした判断及び(五)請求人がアリバイの証明をすることができずまた留置場の壁に落書きをしたことをもって自白の真実性を特に認める資料とするのは不適当であるとした判断、を不当とするものである。

そこで当裁判所としては、所論において非難する原決定の判断事項ごとに抗告の理由の当否を判断することとするが、本件掛布団襟当てに関する原決定の判断中には本件ジャンパーとズボンには血液が当初から付着していなかった蓋然性が高いことを前提とする部分があり、本件ジャンパーとズボンに血液が当初から付着していなかった蓋然性が高いとした原決定の判断の当否が本件において最も枢要な位置にあると考えるので、以下先ず本件ジャンパーとズボンについての抗告理由、次いで本件掛布団襟当てについての抗告理由、更に必要があればその他の事項についての抗告理由の各当否について順次判断することとする。

一  本件ジャンパーとズボンの血痕付着について

1  宮内鑑定(宮内義之介作成の四四・三・一〇鑑定書及び同人の四六・七・九証言)及び木村鑑定(木村康作成の四四・五・一鑑定書及び同人の四六・七・九証言)(以下これらを一括して宮内、木村鑑定という。)は新たな証拠方法であり、かつ今回の再審請求以前に本件ジャンパーとズボンに血痕が付着するか否かについてなされ裁判所に提出された鑑定書とは証拠資料としての意義、内容を異にし、新規性のある証拠と認められる(所論もこの点は争わない。)。

2  本件ジャンパーとズボンの血痕付着に関する原決定の判断を非難する所論は、要するに(一)本件ジャンパーとズボンは事件当夜請求人が着用していたものであるか否かについて疑いがあり、(二)本件ジャンパーとズボンに人血が付着していなかった蓋然性が高いとする宮内、木村鑑定の結果にはたやすく信用するに足りない事由があり、(三)一方旧証拠である平塚静夫鑑定(三〇・一二・二二)及び船尾忠孝作成の血痕検査成績(以下これを船尾血痕検査成績という。)によれば、右両鑑定人は本件ズボンに血痕又は人血痕を発見しておりこれを無視できないから、本件ジャンパーとズボンに当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いと判断した原決定は無意味な判断をしたか、あるいは誤った判断をしているというのである。

よって、所論にかんがみ検討すると、確定判決(請求人に対する仙台地方裁判所古川支部昭和三〇年(わ)第二〇八号事件の判決)の事実認定と同事件の二審判決の説示(以下これを二審判決説示という。)に従い本件ジャンパーとズボンを請求人が本件犯行当夜着用していたものであることを前提として審理するのが再審請求受理裁判所として取るべき措置であるとした原決定の判断はまことに相当である。記録を調査し当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、新証拠である宮内、木村鑑定によれば、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかった蓋然性が高く、旧証拠である平塚鑑定(三〇・一二・二二)及び船尾血痕検査成績によっても右結論を動かすに足りないと認められ、原決定のこの点の判断に何ら誤りは存しない。

以下所論に即し当裁判所において検討したところを付言する。

(一) 本件ジャンパーとズボンの同一性について

一件記録なかんずく、二審判決説示によれば、請求人は本件ジャンパーとズボンを本件犯行時を含む本件犯行当夜着用していたこととなるのであるが、これに疑義を差しはさむべき新規明白な証拠の提出がない。そうすると、確定判決の証拠構造を前提とし、その証拠構造が新証拠により維持するに足りるか否かを検討すべき再審請求受理裁判所としては、新証拠を提出することもなく、請求人が本件ジャンパーとズボンを本件犯行当夜着用していなかった疑いがあるとする所論自体を採用することができない。

(二) 宮内、木村鑑定の信用性について

(1) 宮内鑑定が採用した抗人線維素沈降素吸収試験に対する批判について

(ア) この点に関する所論は以下のとおりである。

宮内鑑定が採用した抗人線維素沈降素吸収試験は鋭敏度が低い(間接凝集反応では〇・〇〇二マイクログラム以上の人線維素、凝集素吸収試験では〇・三マイクログラム以上の人線維素、抗人線維素沈降素吸収試験では一・〇マイクログラム以上の人線維素がなければ人線維素を検出できない。)ため人線維素の検出には不適当な試験法とされており、物体検査学上斑痕の検査に使用されることがほとんどない。微量な人線維素では間接凝集反応によると陽性反応が出ても、抗人線維素沈降素吸収試験では陰性になる。

そこで、二度にわたる入念な洗濯による人線維素の脱落、消失が考えられる本件ジャンパーとズボンについて、このように鋭敏度の低い検査法により陽性反応が出ないからといって、しかも局限された個所を検査したにすぎないのに、本件ジャンパーとズボンには当初から人線維素の付着がないと断定することは行き過ぎの感を免れず、宮内鑑定において認めうることは、せいぜい右の検査によっては人線維素の存在を証明しえなかったという程度のものであるといわざるを得ない。

このように、抗人線維素沈降素吸収試験は人線維素の有無を検査する方法としては不適当であるばかりか、宮内鑑定書には、その試験結果が陰性である旨記載されているのみで、その方法や沈降素価の具体的データが全く記載されていないから、その試験結果は信用性に疑問が残る。

特に血液が布地に付着しても凝固する前に洗濯した場合(請求人の自白によると、ズボンに触ったらヌラヌラしており、それから約五分後((推定))に洗ったという状況は、血液の表面の凝固が始まっているとしても、大部分はいまだ凝固していない状態とみられる。)は、フィブリン塊(線維素塊)は全部簡単に脱落してしまうというのである(木村康の五一・一二・二証言)から、宮内鑑定の「本件ジャンパーとズボンに血液が付着していないのは洗濯による血液の脱落、消失によるものではなく、当初から付着していなかったためと考える。」との結論には疑問をいだかざるを得ない。

(イ) そこで宮内義之介作成の鑑定書(四四・三・一〇)を見ると、右鑑定は、本件ジャンパーとズボンにつき先ず肉眼的検査をして褐色斑痕の存在を発見し、更に透過光線によって本件ジャンパーとズボンにはこれらの斑痕以外に潜在斑痕のないことを確かめ、そのうえで肉眼的検査により発見した褐色斑痕全部につき顕微鏡検査をし、その多くが布地の繊維自身が一部褐色に汚染されたものであることを確認し、更に右褐色斑痕全部につき血痕予備試験としてマラカイト緑試験、次に抗人線維素沈降素吸収試験、更にフィブリンプレート法による検査を順次重ねたがその検査成績はいずれも陰性であること、そのほかに本件ジャンパーとズボンに対してはルミノール試薬を撒布して発光の有無を確かめたがその成績も陰性であることをそれぞれ確認し、一方対照実験として本件ジャンパーと同質の生地のコール天布地(面積〇・五平方メートル)及び本件ズボンと同質の生地の綿ギャバジン布地(面積〇・五平方メートル)を用意し、それぞれに二〇ミリリットル容量の注射筒で正常人の肘静脈から抗凝固剤を用いずに採血したうえ注射針をはずし、水平においた各布地に、右注射筒内の血液を約五〇センチメートルの高さから平均に付着するように噴出付着させ、このように血液を付着させた右各布地を床上に放置して自然乾燥をまち、次いで前記各布地のそれぞれにつき、一枚は血液付着の三〇分後、一枚は同じく一時間後、一枚は同じく二時間後、一枚は同じく五時間後、一枚は同じく一二時間後、最後の一枚は同じく二四時間後にそれぞれ約三〇〇ミリリットルの砂をふりかけて揉み洗い水洗し、水洗後は室内につるして自然乾燥させ、右コール天地の各布地は更に九日目に洗濯石けんで洗い、右綿ギャバジン地の各布地は二九日目に同様の洗濯をし、いずれも洗濯後室内につるして乾燥させ、時々表面を揉みあるいは払い叩くなどの物理的刺戟を与え、次いで肉眼的検査により、血液付着三〇分後に揉み洗いしたギャバジン地布地及びコール天地布地については血痕の有無がいずれも不明瞭であること、血液付着一時間後に揉み洗いしたギャバジン地布地については血痕の有無がやゝ不明瞭であるがコール天地布地については不明瞭であること、血液付着二時間後に揉み洗いしたギャバジン地布地及びコール天地布地については血痕の有無がいずれもやゝ不明瞭であること、血液付着五時間後、一二時間後及び二四時間後にそれぞれ揉み洗いしたギャバジン地布地及びコール天地布地についてはいずれも血痕の存在が明瞭であることを確かめ、更に右各布地についてマラカイト緑試験、ルミノール反応検査、鏡検、抗人線維素沈降素吸収試験をし、その結果各布地とも、マラカイト緑試験、ルミノール反応検査には陰性との結果を得たが、鏡検、抗人線維素沈降素吸収試験には陽性の結果を得、次いで右各布地に対して行なったフィブリンプレート法による検査においてもすべて陽性反応を示すことを確認し、以上の結果を基礎として本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかったと判断したものであることが明らかである。

以上の検査方法と検査過程に徴すれば、宮内鑑定は抗人線維素沈降素吸収試験の成績のみによって本件ジャンパーとズボンに当初から血液が付着しなかったと判定したものではないことが明らかであるから、抗人線維素沈降素吸収試験の鋭敏度が低いとの前提のもとにこの点のみを取りあげ宮内鑑定を論難する所論は正鵠を射たものとはいえない。なるほど所論が依拠している当審において取調べた矢田昭一作成の「松山事件関係鑑定に対する意見書」によれば、矢田昭一は、「抗人線維素沈降素吸収試験は鋭敏度が低いため人線維素の有無の検出には不適当な試験法であり、物体検査学上斑痕の検査に沈降素吸収試験が使用されることはあり得ない。微量な人線維素では、間接凝集反応によると、陽性が出ても抗人線維素沈降素吸収試験では陰性になる。また、宮内鑑定書には抗人線維素沈降素吸収試験の具体的方法、使用した抗原の濃度、抗血清の沈降素価、沈降素量、使用抗血清量等の具体的データについて全く記載されておらず、間接凝集反応は少くとも使っていないので非常に問題のある検査法である。ちなみに線維素は種属特異性が非常に低く、哺乳類と鳥類の間でやっと差が認められる程度であるから、仮にこの試験が陽性の反応を示したとしても、到底人の線維素が付着しているとはいえない。」旨の意見を展開していることが認められるけれども、それ以上に進んで、所論のように抗人線維素沈降素吸収試験が一・〇マイクログラム以上の人線維素がなければこれを検出できないのに対し、間接凝集反応では〇・〇〇二マイクログラムの人線維素、凝集素吸収試験では〇・三マイクログラムの人線維素があればこれを検出できるとしているわけではなく、更に一件記録を精査しても、抗人線維素沈降素吸収試験、間接凝集反応、凝集素吸収試験の鋭敏度に関する所論を裏付ける証拠はなく、また右矢田昭一意見を具体的に支持する証拠も認められない。

なお仮りに所論主張のとおり抗人線維素沈降素吸収試験によって人線維素を検出するためには一・〇マイクログラムの人線維素を必要とするとして考察しても、宮内鑑定のした本件ジャンパーとズボンに対する同試験は、請求人の自白するところによれば本件ズボンにヌラヌラと感じられるほどに付いたとされる血液の存否を確認する手段としてなされたものであること及び宮内鑑定における対照実験では、対照実験布地に前記の程度の、つまりヌラヌラする程度からは遥かに少ない量の血液(もっとも本件ジャンパーに対する血液付着の有無については請求人の自白がないけれども、請求人の自白のとおり本件ズボンにヌラヌラする程の血液が付着したものであるとすれば、本件ジャンパーにも相当量の血液が付着したと考えざるを得ない。)を付け、この布地を二度にわたり血痕の有無が不明瞭になるほど入念に洗濯をしたにもかかわらず、抗人線維素沈降素吸収試験により陽性の検査成績を得た(所論の論法をもってすれば、右の布地に一・〇マイクログラム以上の人線維素が残存していたことになる。)ことを考慮すると、微量血痕の検査につき抗人線維素沈降素吸収試験よりも鋭敏度において優る検査法が他にあるとしても、宮内鑑定が抗人線維素沈降素吸収試験をしたことの有用性を否定することはできず、また右試験が前記矢田意見及び所論主張のとおり種属特異性において不十分であるとしても、本件ジャンパーとズボンに対する右試験結果は陰性であったのであるから、右検査によっては本件ジャンパーとズボンには人血はもとより動物の血液も検出されなかったということになるだけである。即ち種属特異性の問題は生ずることがないというだけのことであり、従って鋭敏度及び種属特異性の問題を取りあげ右宮内鑑定の有用性を論難する所論は失当である。

次に所論は、本件ジャンパーとズボンが血液付着後いまだその血液の大部分が凝固していないと考えられる短時間のうちに洗濯されたこと及び洗濯は二度にわたり入念にされたことを前提として、血液の脱落、消失が考えられるから、そもそも鋭敏度の低い抗人線維素沈降素吸収試験によって陽性反応が出ないからといって、最初から血液の付着がないと判定するのは不当であるというので検討する。

本件ジャンパーとズボンに被害者忠兵衛らの血液が付着したとして、洗濯により血液ひいては人線維素が脱落、消失するような時間内に、あるいは脱落、消失する程度の洗濯がなされたかについては以下のとおり判断する。

請求人の三〇・一二・六、同七、同九、同一二各員面調書によれば、請求人は、「昭和三〇年一〇月一八日午前三時ころ忠兵衛方へ行き一〇分間くらい中の様子を窺った後、屋内に薪割りを持って入り忠兵衛方家族四人の頭部を薪割りで三、四回ずつ次々に切りつけて殺害し、その際四人の寝ていた辺りが血でいっぱいになったように思われ、そのあとたんすを物色し、木小屋から杉葉を屋内に運ぶなどして放火したが、その間約三〇分位を要し(屋内に約三〇分いたことになる。)、外に出て小原方前のあたりで一、二分様子を見、山道を帰る途中でたまたま両手がズボンに触ったらヌラヌラとし血がいっぱい付いたと感じたので、大沢堤の溜池でジャンパーとズボンを脱ぎ、土手の土又は溜池の底土をまぜ一〇分位をかけてジャンパーとズボンを洗濯し、手足、顔を洗った。」と自白しているところ、右自白と司法警察員の三〇・一二・一七捜査報告書、検察官等の三〇・一二・二〇実況見分調書を合わせてみると、請求人が小原方を出発してから大沢堤の溜池に至るまでの所要時間は約八分と算定でき、血液付着の時点から大沢堤での洗濯開始時までは約三八分と算定することができるから、この間に血液は本件ジャンパーとズボンの繊維に相当滲み込んだとするのが合理的である。更に上部道子の三一・一・一四検面調書、斎藤美代子及び遠藤(旧姓上部)道子の各弁護人に対する供述録取書面、日本家庭用合成洗剤工業会の「合成洗剤統計資料」二通によれば、本件ジャンパーは、事件後九日目ころの昭和三〇年一〇月二七日ころ、請求人の兄嫁美代子が前夜の風呂の残り湯を用い固型油脂石けんにより手洗いし、本件ズボンは、事件後二九日目ころの同年一一月一五、六日ころ、東京の上部道子が固型油脂石けんを使用し水で手洗したことが認められる。また一件記録によれば、その後本件ジャンパーとズボンは捜査官によって押収され、平塚鑑定、船尾血液検査成績による鑑定のための検査がなされ、その後、警察署、検察庁、弁護士事務所において保存されて来たが、その間にさらに洗濯がなされた形跡がない。更に本件ズボンの現状を見ると、その汚れ具合は相当なもので、丁寧な洗濯を経たものとは認められない。平塚静夫作成の三一・二・六鑑定書(この鑑定書はこれまで平塚鑑定書と略記して来た同鑑定人の三〇・一二・二二鑑定書と異なり、本件ズボンに付着した油脂によるものと思われる汚斑が何によるものかを鑑定したものである。)によれば、本件ズボンには動物性脂肪が多量に付着し、その裾付近には靴墨に由来すると思われる鉱物油が付着していたことが認められる。以上の諸点を合わせ考えると、請求人の自白する大沢堤の溜池での洗濯は、本件ジャンパーとズボンの繊維に血液が相当滲透したであろう状態下において、秋も深まった寒い時期の早暁に本件ジャンパーとズボンを脱ぎほとんど裸体に近い格好で暗い中でそそくさと行なわれたものであり、所論がいうように入念な洗濯をなしうる状況下のものとは認め難いし、兄嫁美代子によってなされた本件ジャンパーの洗濯及び上部道子によってなされた本件ズボンの洗濯も特に入念なものであったとは認められない。そのうえ先に記載した宮内鑑定の対照実験結果によれば、対照実験布地に付着した血液による汚斑の除去の能否及びその程度は主として血液付着の時から一回目の洗濯までの時間の長短によって影響をうけ、その後九日目又は二九日目になした二回目の洗濯が右汚斑の除去に与える影響はさほど大きいとは認め難く、しかも先にも述べたとおり対照実験の一二枚の布地に対して施した抗人線維素沈降素吸収試験の結果はいずれも陽性を示しているのである。

そうすると二度にわたる入念な洗濯があること、あるいは本件ジャンパーとズボンが血液付着後いまだその血液の大部分が凝固していないと考えられる短時間のうちに洗濯されたことを前提として、血液の脱落、消失が考えられるとして、抗人線維素沈降素吸収試験の結果には疑問をいだかざるを得ないとする所論は採用できない。

なお所論は、右抗人線維素沈降素吸収試験が本件ジャンパーとズボンの局限された個所についてのみ検査されたことをもって、宮内鑑定の「本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかったと認められる。」とした結論を論難するが、右所論の採れない理由はフィブリンプレート法について後に考察するところと同一であるから、ここでは言及しない。

(2) 宮内、木村鑑定が採用したフィブリンプレート法に対する批判について

(ア) 宮内、木村鑑定が採用したフィブリンプレート法について、所論の非難するところは次のとおりである。

宮内鑑定書によれば、フィブリンプレート法は、人血に多量に含まれているプロアクチベーターに着目し、これにストレプトキナーゼを作用させてアクチベーターに活性化し、同じく人血中に含まれているプラスミノーゲンに右アクチベーターを作用させてこれをプラスミン(人線維素溶解酵素)とし、このプラスミンがフィブリンプレートを溶解するという原理を利用した人血の証明法であるという。

右フィブリンプレート法は、(a)そのメカニズム自体が科学的に証明されたものではなく、単なる仮説にすぎないものであり、人血清中に含まれているプロアクチベーターも酵素蛋白質であるという以外にその生化学的構造は解明されていないし、プロアクチベーターの存在そのものにも疑義があり、またプラスミノーゲン自体にアクチベーター(活性剤)の作用があって、時間的経過に伴ないプラスミンに変り、フィブリンプレート中にプラスミノーゲンが含まれている場合人血の付着なしにフィブリンプレートの溶解現象を起こす(つまり陽性反応を呈する。)ことが知られるに至り、(b)更にフィブリンプレート法は、猿、犬、猫の血液、魚肉、腐敗した場合の細菌の産生する酵素にも陽性反応を呈するため、種属特異性に疑義がもたれているし、人乳等にも反応が出るため、臓器特異性にも劣る点があり、(c)右種属特異性、臓器特異性の右欠陥を解消するため加熱平板を使用すると、鋭敏度が極度に低下し、洗濯した血痕等には採用に耐えないとされており、(d)そのうえフィブリンプレート法の鋭敏度についても種属特異性を維持できる範囲を超えたストレプトキナーゼの濃度である一ミリリットル中一〇、〇〇〇単位(宮内鑑定が使用した濃度である。)でも血液稀釈倍数が四〇倍までは反応が陽性、五〇倍、六〇倍では疑陽性、七〇倍以上は陰性となるという報告例(中島敏「血痕の血液型検査に関する研究」犯罪学雑誌三三巻二号)があり、洗濯等水洗いの影響についても、一ミリリットル中〇・一ミリグラムのストレプトキナーゼを使用して洗濯を経た人血付着布片の血液反応を調べたところ、二回の洗濯を経た人血付着布片では粉石けんとブルーワンダフルを使用して洗濯したものは陽性であったが、他の洗剤四種類を使用して洗濯したものはいずれも陰性であり、三回の洗濯をした人血付着布片の血液反応はすべての石けん、洗剤によるものが陰性であったという報告例(三上芳雄ほか三名「フィブリンプレート法による人血付着布片の洗濯後における人血の証明について」日本法医学雑誌一七巻五、六号)もあり、種属特異性を維持する限り鋭敏度は極度に低下する欠陥があり、(e)以上の数々の欠陥のほかフィブリンプレート法の最大の欠陥としては、右検査法が血液中の酵素蛋白質であるプロアクチベーターなりアクチベーターの活性作用を利用している点にある。すなわち蛋白質を変性、破壊する原因及び酵素の活性能力を減弱消滅させる原因はすべてプロアクチベーター、アクチベーターに作用し、その結果人血についてフィブリンプレートの溶解現象がおこらず、検査結果が陰性になる点にあるところ、蛋白質の変性、破壊の原因としては、腐敗、細菌・蛋白分解酵素・薬物・紫外線・加熱・重金属の作用のほか経年があり、長期間の経過それ自体によってプロアクチベーター、アクチベーターは変性、破壊され、酵素活性を失なうこととなるのである。

(イ) そこで先ず、フィブリンプレート法の科学的根拠に疑義があるとの所論について考えると、証人高橋建吉(五一・一二・六)、同須山弘文(五三・一二・一八)及び同木村康(五三・一二・一八)の各証言によれば、フィブリンプレート法のメカニズム自体が科学的に証明されたものではなく、いわば仮説の段階にあり、プロアクチベーターの存在にも多少疑義がもたれるに至り、またプラスミノーゲンにストレプトキナーゼを作用させることによって人血の付着がなくてもフィブリンプレートの溶解現象を起こす(すなわち陽性反応を呈する。)場合があることが知られるに至ったこと、人血の証明法として推奨できないという論者も存することが認められる。しかしながら前記高橋証言並びに木村康の五一・一二・二証言、毛利昌雄「フィブリンプレート法によるヒト血液の種属特異性について」科学警察研究所報告一五巻四号、三上芳雄外三名「フィブリンプレート法による人血痕の法医学的証明」日本法医学雑誌一七巻一号、三上芳雄外三名「フィブリンプレート法による人血付着布片の洗濯後における人血の証明について」日本法医学雑誌一七巻五、六号、熊野修「フィブリンプレート法による人血の証明について」科学警察研究所報告一四巻四号、三上芳雄外三名「フィブリン平板法によるヒト血痕判定法」科学警察研究所報告一六巻一号、三上芳雄外一一名「微量の人血付着資料にたいする血液予備試験、フィブリン平板法ならびに型的二重結合反応による血液型判定の連続併用について」科学警察研究所報告一九巻一号、石津日出雄外八名「微量血痕にたいする血液予備試験、フィブリン平板法ならびに解離試験の連続併用による『ヒト血液型』の証明について」科学警察研究所報告二〇巻二号によれば、フィブリンプレート法は人血の証明法として十分に有用性があり、しかもその有用性については法医学界において承認されているとともに実用に供されていることが明らかであり、かつ仮に所論のいうように、プロアクチベーターの存在に疑義があり、プラスミノーゲンにストレプトキナーゼを作用させることによって人血の付着がなくてもフィブリンプレートの溶解現象を起こす場合があること、あるいは所論のいうとおりプラスミノーゲン自体に活性作用があり時間的経過に伴ないこれがプラスミンに変るという機序により人血の付着なしにフィブリンプレートの溶解現象が起こり得ること、を是認してみても、右のフィブリンプレート溶解に至る各機序についての異論は、フィブリンプレート法により陽性の結果が出ても人血によるものとは断定できないというにすぎず、宮内鑑定、木村鑑定においてフィブリンプレート法により本件ジャンパーとズボンを検査した結果その反応が陰性であったとされる以上、右所論は右各鑑定を非難する論拠とはなし得ないから、所論は理由がない。

(ウ) 次に、フィブリンプレート法が種属特異性、臓器特異性に欠けると非難する所論は、先に人血中にプロアクチベーターがなくともプラスミノーゲンとストレプトキナーゼの反応、又はプラスミノーゲン自体の活性により陽性の結果が出ることがあり得るとした場合について考察したところと同様の理由により、採用することができない。

(エ) 第三に、加熱平板を使用すると鋭敏度が落ちるとの所論は、坂本憲治外一名「加熱フィブリンプレート法によるヒト血痕判定法に関する検討」科学警察研究所報告一七巻一号に記載された実験方法(作成フィブリンプレートを摂氏五〇度、六〇度、七〇度、八〇度に五分ないし六〇分加熱する方法)に根拠を求めていると認められるところ、宮内鑑定書に記載された「牛フィブリノーゲンにトロンビンを加えて作成したフィブリンプレート上に検体の〇・三センチメートル×〇・三センチメートル大を置き、これにストレプトキナーゼ(一ミリリットル中に一〇、〇〇〇単位)一滴を滴下し、三七度に二四時間静置せしめ、フィブリンの溶解を検査する。」という方法と条件を異にするから、右所論は採ることができない。

(オ) 第四に、所論は中島敏「血痕の血液型検査に関する研究」及び三上芳雄外三名「フィブリンプレート法による人血付着布片の洗濯後における人血の証明について」を引用して、フィブリンプレート法の鋭敏度が低いと非難するが、右中島論文を見ると、血液稀釈倍数が四〇倍まではフィブリンプレート法によっても陽性反応を示し、そして右稀釈倍数四〇倍とは血痕量にして〇・〇〇六五ミリグラムの微量を示すものであることが認められるから、決してその鋭敏度が低いとはいえず、また右三上等論文は宮内鑑定より鋭敏度が低い結果を示すが、右論文に記載された実験においてさえ、洗濯粉石けんを使用して血液を付着させた対象試験物件を二回洗濯した場合にもフィブリンプレート法によれば陽性反応を呈することが明らかであるから、所論はますます理由がないといわざるを得ない。

(カ) 最後に所論は、フィブリンプレート法が血液中の酵素蛋白質を利用するものであるところ、蛋白質は腐敗、細菌・蛋白分解酵素等の作用のほか長期間の経過それ自体によって変性、破壊されるから、蛋白質であるプロアクチベーター、アクチベーターは右の諸原因によって変性され、宮内、木村鑑定時には右の諸原因によってプロアクチベーター、アクチベーターが変性、破壊されているとみるべきであるから、宮内鑑定の結果は信用できないと主張し、前記高橋建吉証言、矢田昭一意見書、鈴木利一外一名「フィブリンプレート法の諸条件」並びに筒渕美允外一名「フィブリン平板法による人血証明についての検討(第一報)」北海道内犯罪科学研究会講演要旨を援用するが、右各証拠を精査検討しても、蛋白質としてのプロアクチベーター、アクチベーターが、腐敗、細菌・蛋白分解酵素・薬物・紫外線・加熱・重金属の作用を除くと、経年自体のみを原因として変性、破壊されるとは認められない。もっとも、前記高橋建吉が長年月経過した血液は溶け難くなると証言していること、矢田昭一意見書中に「抗原活性(抗原決定基)の方が酵素活性よりはるかに長持ちする。それ故、古い血液は、長年月経過したというだけでその酵素活性が失なわれ、しかも抗原活性よりもはるかに早く失なわれる。」との記載があり、所論はその根拠づけとして右証言及び右意見を援用するものと思われる。しかし長年月経過による血液の難溶化の問題は、宮内鑑定が顕微鏡により本件ジャンパーとズボンに人線維素が無かったことを確かめていることに徴すると、宮内鑑定に対する批判として採ることができない。また矢田昭一意見は、酵素活性がどの位の期間経過すれば失なわれるかを具体的に指摘していない点で、宮内、木村鑑定の信用性に影響を及ぼすものとは考えられない。

(3) 宮内、木村鑑定の方法と結論に対する批判について

(ア) 宮内、木村鑑定の方法と結論につき、所論は次のとおり非難する。

宮内鑑定は、本件ジャンパーとズボンに当初から血液が付着しなかったとの結論を導き出す方法の一つとして、対照実験を行なっているが、そのために設定した条件を見ると、本件の場合とは相当の隔たりがあり、両者の条件が原決定がいうように(決定書一五〇頁)「近似的に同等」であるとは到底評価できないから、対照実験の成績が本件ジャンパーとズボンの血痕検査について妥当するとは解されない。

すなわち、本件ジャンパーとズボンの洗濯状況並びに保管状況などの条件と対照実験の右条件とを比較すると、左表のとおりである。

番号

鑑定

本件ジャンパーとズボン

対照実験

摘要

材料

ジャンパー(コール天地)

淡鼠色コール天地

ズボン(綿ギャバジン)

カーキ色綿ギャバジン地

使用程度

ジャンパーは常に使用している色のさめた鼠色

新品を洗濯して糊を除去したうえ乾燥した布地片

ズボンは茶色で仕事以外に常用

血液付着方法

中腰で横臥している四人の頭部を薪割りで切りつけその返り血を浴び、ズボンがヌラヌラしていた。

水平においた布地に二〇cc容量の注射筒で約五〇センチメートルの高さから噴出付着させた。

血液付着後の乾燥方法及び一回目の洗濯状況並びに干した状況

一〇月一八日午前三時三〇分ころから同日午前四時ころまで血痕付着のまま着用し、後記の洗濯をする約五分前(推定)までズボンはヌラヌラしていた。

1 ジャンパー・ズボンともに溜池の水で池底の土、又は堤防の土を混ぜ込んでごしごし洗濯した。

2 手で水を絞り出したうえこれを着用し約二時間後脱衣して、自然乾燥させた。

室内床上に放置し自然乾燥をまった。付着三〇分後、一時間後、二時間後、五時間後、一二時間後、二四時間後にそれぞれ水を用い約三〇〇ccの砂をふりかけて揉み洗い、水洗い後は室内につるして自然乾燥させた。

二回目の洗濯状況並びに干した状況

ジャンパー

1 一〇月一九日夜着用(目撃者早坂隆、清俊治)

2 一〇月二七日朝一〇時ころ井戸で洗濯し縁側外の竿に掛けて干し、午後八時三〇分ころ請求人が竿から外し、濡れていたので縁側内の竿に掛けた(斎藤美代子)。

当時洗濯は前夜の風呂の残り湯を使うのを常としていた。しかし季節的に水と同じであった。すすぎは井戸水。木製たらい、木の洗い板、固型石けんを使用した。

布地は、いずれも乾燥のため室内につるしておいたが、ときどき表面を揉み、あるいは払いたたくなど着用時に受ける刺戟と同じような物理的刺戟を加えた。

コール天地

九日目にライオン固型の油脂石けんで再び洗い、室内につるして自然乾燥

ズボン

1 一〇月二七日請求人上京時着用し、上京後も着用

2 一一月一三日ころコンクリートの流しで雑巾バケツに入れて洗った。

固型石けんを使ったと思う。

綿ギャバジン地

二九日目にライオン固型の油脂石けんで再び洗い、室内につるして自然乾燥

血痕付着から宮内鑑定の検査までに経過した年月

約一一年三ヶ月

(三〇・一〇・一八血痕付着、四二・二・六宮内鑑定の検査)

コール天地 九日目

綿ギャバジン地 二九日目

番号

鑑定

本件ジャンパーとズボン

対照実験

摘要

血痕付着から宮内鑑定までの使用状況並びに保管状況

1 本人の着用状況(人線維素に対する紫外線の影響)

一〇月二七日上京するまで常に着用していた。

2 任意提出・領置場所

○ジャンパー 三〇・一二・三請求人自宅

○ズボン 三〇・一二・二板橋区板橋町四丁目一、〇

八六番地山本文子方

3 鑑定関係(薬品添加関係)

イ 平塚鑑定

三〇・一二・九着手―三〇・一二・一二終了、汚斑

についてベンチジン検査を行なう(間接法)。

ロ 船尾鑑定

三七・五・二〇着手―三七・六・二五終了、ベンチ

ジン検査を行なう(直接法)。

4 押収後の保管(人線維素に対する細菌、紫外線の

影響)

イ 三〇・一二・三~三〇・一二・九古川署

丸めてひもで結び、コンクリート建物二階事務室内

の木製戸棚に保管。日光当らない。

ロ 三〇・一二・九~三一・二・六県警本部鑑識課

コンクリート建物地下事務室内の机の上又はダン

ボール箱内に丸めて保管。日光当らない。

ハ 三一・二・六~三二・三・二三古川署

前記イと同じ。

ニ 三二・三・二三~三七・三・一仙台地検古川支部、

仙台高検

紙袋に入れ、庁内証拠品倉庫の木製戸棚に保

管。日光当らない。

ホ 三七・三・一~五一・二・四斎藤常雄宅、守屋弁護

士、青木弁護士の事務所の戸棚に保管(三七・五・

二〇~四四・五・一この間ジャンパー三回、ズボン四

回鑑定人のもとに渡っている。)

ヘ 五一・二・四~現在仙台地裁に領置

布地は最初に水洗いをしてから九日目、二九日目の水洗をするまでの間、完全に乾燥した袋に入れ常温のところに保管

右表のとおり、本件ジャンパーとズボンの血痕検査と対照実験では血痕付着から検査までの年月、洗濯方法並びに乾燥のしかた、保管状況、薬品添加の有無などその条件において大きな違いがあり、これらの条件の違いは宮内鑑定における検査成績に影響を及ぼすものである。特に血痕付着から検査までの経過年月の相違は、抗人線維素沈降素吸収試験並びにフィブリンプレート法の各検査成績に多大の影響を及ぼすものであることが明らかであるから、本件ジャンパーとズボンの血痕検査と対照実験との条件が「近似的に同等」と評価することはできないものであり、これのみをもってしても宮内鑑定の検査成績から導かれた結論を高く評価することはできない。

更に宮内鑑定は、肉眼的検査により本件ジャンパーとズボンに付着していると認めた二六斑痕につき抗人線維素沈降素吸収試験とフィブリンプレート法による試験を行なった(ただし鑑定書には二三斑痕について右各試験を行なったと記載してあるので、残る三斑痕についてはこれを行なっていない可能性がある。)のみで、右斑痕部以外については右試験を行なっていないのであるから、正しくは本件ジャンパーとズボンの斑痕部分から人血の証明がえられなかったというべきであり、洗濯により赤血球が脱落した場合には肉眼的観察ではわからないこと、洗濯を経た布地は洗濯前に血液が付着していたとしてもルミノール、マラカイトグリーン各試験に陰性の結果を示すことが多いこと、血液凝固前に洗濯した場合、人線維素が脱落、消失しやすいこと、透過光線による観察も本件ジャンパーとズボンのように厚手の生地の場合は発見が困難であることなどを考慮すると、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかったものと考えるという結論を導き出すことには大きな疑問がある。

木村鑑定についても、検査を行なった個所は、本件ズボンの左前面内側上部の船尾鑑定において切り取った周辺部の約蚕豆大の部分と、左前面外側下部の平塚鑑定において切り取った数個所の周辺小豆大の部分であって、極めて局限された部分であり、人血付着の有無の本試験として行なった抗人ヘモグロビン沈降反応及びフィブリンプレート法による試験に使用した部分も鑑定対象部位に近い極めてわずかの部分に過ぎないと考えられ、本件ズボンの布地の大部分は木村鑑定においても検査対象とされておらないこと、血液が付着していても洗濯を経た布地に対してはルミノール、マラカイトグリーン、ベンチジン各試験が陰性の結果を示すことが多いこと、抗人ヘモグロビン沈降反応も洗濯された赤血球の脱落した布地や長年月を経て赤血球が固化し、難溶性化している布地の場合には血液が付着していても反応が陰性であることが多いし、フィブリンプレート法には前記のような重大な欠陥があるのであるから、これらを合わせ考えると、木村鑑定が本件ズボンの試験成績が陰性であったことから直ちに血液の付着を否定したことは大いに疑問である。

(イ) 宮内、木村鑑定の各検査中フィブリンプレート法による検査方法に関する批判(特に対照実験が血液付着後長期間経過した布地を使用していない点についての批判)について

所論にかんがみ記録を検討すると、本件ジャンパーとズボンが宮内、木村各鑑定人によって検査されるに至るまでの条件と、宮内鑑定の対照実験の条件との間には所論指摘のとおりの差異があり、特に年月の経過については右両者の間には特段の差異があることが認められる。この点に着目するときは、「両者の条件が近似的に同等であると評価することはできない。」との所論は根拠があるといわねばならない。

しかしながら、更に原決定を見ると、原決定のいわんとするところは、血液付着の量と洗濯についての条件が、本件ジャンパーとズボンについての場合と対照実験布地についての場合とが近似的に同等と評価できるとしたに止まり、右以外の点についてまで近似的に同等と評価してはいないのであるから、右以外の点についてまで原決定がそのように評価したとの前提に立つ所論はその限りで失当である。

そこで進んで本件ジャンパーとズボンに対する諸条件と対照実験布地に対する諸条件とのうち、原決定において近似的に同等であるとされた条件の「近似的同等性」について検討する。

まず、先に抗人線維素沈降素吸収試験について考察したように、請求人の自白によれば、請求人は本件犯行後約三〇分後においてさえ、本件ズボンに血がヌラヌラとついていたことを認識したというのであるから、自白のとおりであるとすれば、少なくとも本件ズボン中請求人の手が触れた部分に付いた血液の量は対照実験布地(綿ギャバジン地)に付着した血液量よりはるかに多量であったというべきである。

次に検査対象となった各材料に対する洗濯の条件について検討するに、布地について見ると対照実験の材料となったコール天布地、綿ギャバジン布地は、宮内鑑定の実施に当った木村康において、布地に使用された糸の種類、布地の厚さ、織り方によって洗濯による影響が異なることを考慮して本件ジャンパーとズボンのそれぞれの生地と同質の布地を使用したものであることが木村康証言(五一・一二・二)により明らかで、本件ジャンパーとズボンの布地と対照実験布地との間に条件の違いはない。また布地あるいは衣類に付着した血液の洗濯による除去に関し、その布地あるいは衣類の使用程度及び付着方法の相違がもたらす影響の差異について検討すると、記録を精査してみても、この点に関する実験報告も論文も提出されていないから、右相違がもたらす影響の差異は、一般常識により判断するほかないところ、使用程度を異にすることが洗濯による血液の除去に与える影響を異にすることになるか否か不明というほかはなく、従って右相違がもたらす影響の程度はどちらが大きいともいうことはできない。血液付着の方法については、本件犯行により返り血を浴びることと注射筒から噴出することにより血液を布地に付着させる方法によることとの差異が、洗濯による血液の除去に与える影響に差異をもたらすとは考えられない。更に血液付着後一回目の洗濯に至るまでの乾燥方法及び一回目の洗濯方法並びに右洗濯後洗濯物を干した状況の相違がもたらす検査結果への影響について考えると、対照実験布地中コール天地と綿ギャバジン地の各一枚は血液付着の三〇分後に洗濯されているのに対し、本件ジャンパーとズボンは先に検討したとおり請求人の自白等によれば本件犯行の約三八分後に洗濯したと推認されるから、この点では近似的に同等といってよいけれども、本件ジャンパーとズボンは、請求人の自白に従えば本件犯行後一回目の洗濯まで血液付着のまま着用を続け、その間請求人は金員の物色、放火材料の物色及び屋外から屋内への放火材料の持ち込み、点火作業、現場からの逃走等の行動をとっているのであるから、請求人の体温及び外気による影響を受けており、血液を付着させ三〇分間室内床上に放置された対照実験布地よりも、本件ジャンパーとズボンに付着した血液の方が血液の凝固、乾燥を早められたものと推認できるから、この点で洗濯による血液の除去は対照実験布地よりも容易でなくなると考えるのが相当である。そのうえ、本件ジャンパーとズボンに対する一回目の洗濯の程度は先に検討したとおり所論がいうように入念な洗濯をなしうる状況下でなされたものとは認め難いのに対し、対照実験布地は右実験に当った木村康の証言(四六・七・九)によれば、右布地を洗う所用時間には制限をもうけず、「洗濯に使う水なりぬるま湯なりそういうものに色が出なくなる。……これ以上落ちないんだというところまで洗った。」というのであるから、その洗濯の程度には格段の相違があるものと認められ、対照実験布地に対する一回目の洗濯の影響は本件ジャンパーとズボンの洗濯による影響よりも大きいものと認められる。また二回目の本件ジャンパーとズボンの各洗濯と対照実験布地に対する洗濯について比較しても、本件ジャンパーについては前述のとおり請求人の兄嫁美代子が固型油脂石けんで洗濯板を使用し風呂の残り湯で手洗いし、また本件ズボンについては前述のとおり上部道子が固型油脂石けんを使用し水で手洗いしたことが認められるほかは格別の資料もないので、当時の家庭における通常の洗濯をしたと認めるほかなく、かつまた本件ズボンの汚れ具合を見ると丁寧になされているとは認め難いことも先に検討したとおりである。しかるところ対照実験布地に対する二回目の洗濯はこれに対する一回目の洗濯と同様丁寧なものであったことが前記木村康証言(四六・七・九)により認められる。以上によれば二回目の洗濯の程度は本件ジャンパーとズボンについては対照実験布地に対するものよりも丁寧さにおいて相当程度劣るといえる。

以上に明らかなとおり、本件ジャンパー及びズボンと対照実験布地との間に材質の同一性があること、本件ジャンパーとズボンの一回目の洗濯が血液付着の約三八分後に洗濯していることになっているところ、このことと対照実験布地のうち前述のとおり二枚を血液付着の三〇分後に洗濯していることとの間に時間的に近似性があること、本件ジャンパーの二回目の洗濯が血液付着後九日目にされたことになっているところ、このことと対照実験物件である同質生地のコール天地の一枚を血液付着後九日目に二回目の洗濯をしていること、及び本件ズボンの洗濯が血液付着後二九日目にされたことになっているところ、このことと対照実験物件である綿ギャバジン地の一枚を血液付着後二九日目に二回目の洗濯をしていることとの間にそれぞれ時間的に近似性があることだけであり、その他の点については明らかな相違があるのであるから、これらを一括して近似的に同等であるとした原決定は誤りであるといわなければならない。

しかしながら、対照実験布地に対する付着血液量が本件ジャンパーとズボンに対するそれよりもはるかに少なく、その洗濯の程度が本件ジャンパーとズボンに関するそれよりもはるかに厳しい条件のもとでなされたにも拘らず、なお陽性反応を示している以上、請求人自白のとおり本件ジャンパーとズボンに血液が付着し、前記認定のとおりの程度の洗濯がなされたに過ぎないとすれば、陽性反応が出て然るべきことは自明の理というべきである。

そこで更に進んで本件ジャンパーとズボンの二回目の洗濯終了時から宮内、木村鑑定までの間に本件ジャンパーとズボンに残存し得たであろう血液が除去、破壊、変性する条件が存在し、従って宮内、木村鑑定の際本件ジャンパーとズボンに血痕の存在が証明されなかったからといって当初から血液が付着しなかったとはいえないと認むべきか否かについて考えると、確かに本件犯行時から右各鑑定時まで約一一年三ヶ月を経ていることは本件ジャンパーとズボンに付着した血液が腐敗、細菌・蛋白質分解酵素・紫外線・加熱・重金属の作用等により破壊又は変性作用を受ける機会を増大させるものとして無視することはできないということができる。しかしながら宮内鑑定書、木村康証言(四六・七・九及び五一・一二・二)及び本件ジャンパーとズボンの保管状況に関する各証拠に照らすと、右血液の破壊、変性の原因となる条件のうち、腐敗、細菌・蛋白質分解酵素・紫外線・加熱・重金属の作用が右保管中になされるべき状況はこれを無視し得るに近いものであったことが認められる。

次に平塚鑑定、船尾血痕検査成績に際し薬品が用いられたことが認められるので、その薬品による影響について考える。フィブリンプレート法はフィブリン塊中に取り込まれたプロアクチベーターないしアクチベーターに着目してなされる検査法であり、一旦形成されたフィブリン塊は容易に薬品に溶けない性質があるうえ、フィブリン塊は布地の表面のみならず布地の糸を構成する繊維の中にまで入り込んでいるから、薬品の影響を受けにくいという特徴をもつことが木村康証言(五一・一二・二)により認められる。しかるところ、平塚鑑定(三〇・一二・二二)においては、濾紙に蒸溜水をひたしこれを本件ジャンパーとズボンの斑痕部に押し当てて濾紙に移ったものにベンチジン試薬を振りかけてその反応を見る方法と、斑痕部の一部を切り取りこれに直接ベンチジン試薬を加える方法が取られ、更に本件ズボンの一部にベンチジン陽性反応を示す部分があったのでルミノール試薬を全面に撒布したが、右各検査中ベンチジン検査によっては本件ジャンパーとズボンの本体に何ら薬品の影響を及ぼすものでないことは自明のところであり、ルミノール撒布の影響については、その後に行なわれた船尾血痕検査成績において一部に人血反応が認められているのであるから、ルミノール試薬によって本件ズボンに付着していた血液が変性されたということもできない。次いで船尾血痕検査成績による影響(血液変性)の有無を考えると、右船尾血痕検査成績には「ベンチジン法を用いて直接本件ジャンパーとズボンに試薬を滴加して検査した。」旨の記載があるが、証人船尾忠孝の三九・一・一四証言によれば、同人は右検査方法(直接法)には事後の検査に差支える欠陥があるため、検査物件の何分の一かを使いその余を残すようにするなどの意を用いていることが認められ、これに加え、同木村康の五一・一二・二証言を見ると「ベンチジン試薬を直接かけた場合には時間が経過すると褐色の斑痕となって残るものである。(いま)本件ジャンパーを直接見たところでは、ベンチジン試薬を滴下した跡はなく切り取り痕があるのみであるから、船尾鑑定人は斑痕部分を切り取ってベンチジン検査をしたようである。本件ズボンを見ると左側外側下部のところにベンチジン試薬をかけた痕跡が見えるが、試薬は滲透していない。」と証言しており、右証言内容は本件ジャンパー及びズボンと対比すると十分信頼できる。そうすると、右船尾血痕検査成績の「ベンチジン直接法を用いて直接本件ジャンパーとズボンに試薬を滴加した」との記載は、本件ジャンパーとズボンから検査対象部分を切り取り、その切り取った部分にベンチジン試薬を滴下する方法を施し、更に本件ズボンについてその一部にベンチジン試薬を直接滴下したがその量は布地内部にまで滲み込まない程度のものである方法をも用いたとの意味であると解される。してみれば、前記船尾血痕検査成績の検査前には残存していたと考えられ、かつ右船尾検査により切り取られた部分以外に付着していた血液が船尾検査によるベンチジン試薬の滴下によりすべて破壊、変性したということもありえない。

所論は、更に、蛋白質の変性破壊の原因として以上の作用のほかに長期間の経過それ自体をあげ、これにより蛋白質としてのプロアクチベーター、アクチベーターは変性、破壊され、酵素活性を失うことになると主張し、高橋建吉証言(五一・一二・六)、矢田昭一意見書、鈴木利一外一名「フィブリンプレート法の諸条件」、筒渕美允外一名「フィブリン平板法による人血証明についての検討(第一報)」北海道内犯罪科学研究会講演要旨を援用するが、右主張はそれ自体採ることができないことは先に検討説明したとおりである。のみならず、所論援用の高橋建吉証言によれば、同証人は血液を木綿の布につけ、乾燥させたうえ、蓋をした瓶内に保存したものについてフィブリンプレート法による検査をした結果、一〇年経過したものでは二例が陽性、二例が陰性という結果が出たこと、また一九二二年採取(検査時より五四年以前のもの)の血液について行なった八例のうち二例が陽性、一例が擬陽性、その他五例が陰性となったとの自己の実験結果をもあげているのであって、宮内、木村鑑定において採用されたフィブリンプレート法の有用性をなかば肯定していることが認められ、また前記筒渕美允外一名の講演要旨を見ると、同人らは、サラシに付着して一四年経過した陳旧血液につき、ストレプトキナーゼ一〇〇ミリグラムパーセント溶液を使用してフィブリンプレート法による検査をしたところ陽性の反応を示したと報告しているのであり、右証拠に加え、証人木村康(四六・七・九)の「フィブリンプレート法により陳旧血痕を検査したところ二五年ないし三〇年経過したものまで陽性反応を示した。」との証言をも合わせて考えると、血液付着後約一一年三ヶ月後になされた宮内鑑定のフィブリンプレート法による検査は完全とはいえないにしても十分に有用性があったと評価するに足りる。従って宮内、木村鑑定が本件ジャンパーとズボンの二回目の洗濯後一一年余を経てなされているのに対し対照実験が二回目の洗濯後フィブリンプレート法などの検査をするまでいくばくも期間を経ていないことを以て、右対照実験と本件ジャンパー及びズボンに対する検査との間には条件に大きな差異があるとし、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していないとする宮内、木村鑑定は信用できないとする所論は採ることができない。

(ウ) 宮内、木村鑑定の方法と結論に関するその余の批判について

所論は、宮内鑑定は肉眼的観察により本件ジャンパーとズボンに付着していると認めた二六斑痕(但し以下の検査は二三斑痕についてしか行なっていない可能性もある。)について抗人線維素沈降素吸収試験、フィブリンプレート法による試験を行なったのみで、その余の部分は右各検査をしていないから、右各検査を経ていない部分に血痕が付着している可能性があり、従って本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していない蓋然性が高いとした宮内鑑定は失当であると非難し、木村鑑定は本件ズボン中船尾血痕検査において切り取った周辺部の約蚕豆大の部分と、平塚鑑定において切り取った数個所の周辺小豆大の部分という極めて局限された部分について抗人ヘモグロビン沈降反応及びフィブリンプレート法による試験を行なったのみで、その余の部分については右各検査をしていないから、本件ズボンには当初から血液が付着していない旨の結論を出した木村鑑定も宮内鑑定同様失当であると非難する。

よってこの点について検討すると、本件ジャンパーとズボンは、すでに平塚鑑定(三〇・一二・二二)において、昭和三〇年一二月九日から同月一二日までの間に施行したベンチジン試験(本件ジャンパーとズボン双方)とルミノール試験(本件ズボンのみ)による検査の結果、本件ズボンについては左裾に粟粒大の血痕が一個のみ付着するがその血痕が人血か否かは不明であり(この部分は、右鑑定に際し他の何個所かと共に切り取られた。なお、この各切取り部分はいずれも極めて微少である。)、本件ジャンパーについては血液の付着を発見できなかったとされ、船尾血痕検査成績(三七・六・二五)において、ベンチジン試験によって本件ジャンパーには血痕の付着を認めず、本件ズボンには前股ボタン左下方(右検査成績の附図、ズボン表前側(6))にベンチジン、高山氏式ヘモクローモーゲン結晶法、抗人ヘモグロビン沈降素反応の各試験に陽性を示す微少な人血痕一点のみの付着が認められた(この部分は右検査に際し、他の何個所かと共に切り取られた。なおこの各切り取り部分はいずれも極めて微少である。)とされるものである。かかる閲歴をもつ本件ジャンパーとズボンに対し宮内鑑定(本件ズボンの鑑定は、右のとおり平塚鑑定及び船尾検査に際し何個所か切り取られた部分以外の部分についてなされたものである。)は、更に肉眼的観察によってジャンパーに九個所、ズボンに一七個所の斑痕があることを認め、ルミノール試薬を撒布しても他に斑痕のないことを確認したうえ、右斑痕全部につき抗人線維素沈降素吸収試験、フィブリンプレート法による検査を施したのである(右各検査が斑痕全部についてなされたことは、宮内鑑定書の記載、証人木村康の証言((四六・七・九))により明らかである。)。木村康証言(四六・七・九)によると、右鑑定の実施に直接当った木村康は平塚鑑定及び船尾血痕検査の前記内容を考慮に入れ本件ジャンパーとズボンにいくらかでも血痕が残存するとすれば、その可能性は斑痕部分が最も高く、その余の部分にはその可能性がより少ないものと判断したうえで、斑痕部分のみを選択して抗人線維素沈降素吸収試験、フィブリンプレート法による試験をしたところいずれも陰性の結果がでたので、それ以上に進んで斑痕部分以外の部分について右両試験による検査をしても陽性の結果がでる可能性はいよいよ低いものと考え、それ以上の検査をしなくとも本件ジャンパーとズボン(前記切り取り部分を除く。)に血痕は認められないと判断して誤りはないと考察し、宮内義之介鑑定人も木村康の右の考え方を是認したものと認められ、当裁裁判所も右の考え方を是認できるから、前記斑痕部分以外の部分について抗人線維素沈降素吸収試験及びフィブリンプレート法による試験をしなかったからといって宮内鑑定の信用性が減弱されるとはいえない。また木村鑑定は、本件ズボン中宮内鑑定において検査した以外の部分の一部ではあるが、平塚鑑定において切り取って検査した結果血痕斑があるとされた部分の周辺及び船尾血痕検査成績において切り取って検査した結果人血痕があるとされた部分の周辺部分について、宮内鑑定同様、木村鑑定に至る一連の経過を考慮に入れ、本件ズボンにいくらかでも血液が残存するとすれば、その可能性は右平塚鑑定及び船尾血痕検査成績において切り取った部分の周辺に、残存する可能性が最も高くその余の部分にはその可能性がより少ないものと判断したうえで、前記各周辺部分のみを選択して、抗人ヘモグロビン沈降反応及びフィブリンプレート法による試験を行なったところいずれも陰性の結果が出たので、前記宮内鑑定と同一の考え方によって、本件ズボンには血痕は認められないとしたのであるから、その検査部分が本件ズボンの一部に局限されるからといって、木村鑑定の信用性が減弱されるとはいえない。

(エ) 以上検討したところを総合すれば、宮内鑑定が採用した対照実験布地に対する諸検査と本件ジャンパーとズボンに対する諸検査との間には、種々の条件の違いがあり、この点を指摘する所論はその限りにおいて正しいということができるが、二回の洗濯を経たことにより付着血液が破壊、除去されるという影響は、対照実験布地の方が本件ジャンパーとズボンよりもはるかに大きいと評価され、本件ジャンパーとズボンが本件犯行のあった日から宮内、木村鑑定に至るまでの長年月の間に受けたであろう腐敗、細菌・蛋白質分解酵素・薬品・紫外線・加熱・重金属の作用による影響は本件の場合必らずしも大きくなく、経年それ自体が、本件ジャンパーとズボンに付着したとされる血液を変性、破壊させると認むべき事由はなく、また宮内、木村鑑定が本件ジャンパーとズボン(前記切り取り部分を除く。)の一部についてのみ諸検査を行なっていることについても合理性があるといえるから、右両鑑定が当初から本件ジャンパーとズボン(前記切り取り部分を除く。なお右両鑑定と平塚鑑定及び船尾血痕検査成績との関係については次項に述べるとおりである。)には血痕が付着していなかったとの結論を出したことについては、これを首肯するに足る十分な根拠があったと評価せざるを得ない。

(三) 旧証拠である平塚静夫鑑定(三〇・一二・二二)及び船尾忠孝血痕検査成績と新証拠である宮内、木村鑑定との関係

(1) 所論は、旧証拠である平塚鑑定(三〇・一二・二二)、船尾血痕検査成績によれば、右両鑑定人は本件ズボンに血痕又は人血痕を発見しており、これを無視できないから、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかったとする宮内、木村鑑定は失当であるというものである。

(2) 前記のとおり、平塚鑑定(三〇・一二・二二)においてはベンチジン試験とルミノール試験をした結果、本件ジャンパーについては血痕の付着を認めず、本件ズボンについては左裾付近に血痕一個の付着を認めたが人血か否か不明であるとされたものであるが、更に証人平塚静夫の証言(三七・一〇・二二)によれば、同人は右鑑定時に本件ジャンパーとズボンを見ているが、本件ジャンパーには特に血痕らしいと思われるような地図状斑痕を認めず、本件ジャンパーが二回洗濯されたということを考慮に入れても初めから血液は付いていないという感じだったこと、本件ズボンからは血痕の付着を認めた部分以外の部分はルミノール試験によっても発光反応を示さなかったこと、本件ズボンは割合汚れていたことをも合わせて考えると、洗濯の点を考慮しても血痕の付着を認めた部分を除いては当初から血液は付いていないのではないかと感じたと供述しているものである。

次に船尾血痕検査成績は、前記のとおりベンチジン試験によって本件ジャンパーに血痕の付着を認めず、本件ズボンにはベンチジン試験、高山氏式ヘモクロモーゲン結晶法並びに抗人ヘモグロビン沈降素反応試験を施し前股ボタンの左下方の部分に一個の人血の付着を認めたが、その余の部分についてはベンチジン試験で陰性であるとしているものである。

以上のとおり、本件ジャンパーについては平塚鑑定人も船尾鑑定人も人血痕はもとより血痕すら認めず、本件ズボンについては、平塚鑑定人においてその左裾付近に血痕一個を発見したが右血痕が人の血液に由来するや否やまで確かめるに至らず、船尾鑑定人はその前股ボタンの左下方の部分にある一個の斑痕が人血痕であることを確かめたが、その余の部分には右両鑑定人とも血痕も人血痕も発見していないこと、右鑑定に際し血痕付着点を含む何個所かが切り取られ、また右検査に際しても右人血付着点を含む何個所かが切り取られたこと、宮内、木村鑑定はこれら切り取られた部分を鑑定の対象としておらないことは前述のとおりである。

(3) そこで右事実を前提として原決定が前記平塚鑑定、船尾血痕検査成績を無視した結果、誤った判断をするに至ったかを考えると、平塚鑑定も船尾血痕検査も本件ジャンパーについては人血痕はもとより血痕すら発見していないのであるから、右鑑定及び検査の結果を考慮に入れてみても、当初から血液が付いていたとの結論が導き出されるいわれはない。

そこで進んで本件ズボンの場合について考えると、平塚鑑定は本件発生の日より二ヶ月以内になされたものであるが、同鑑定人が確認した血液付着の位置は前記のとおり本件ズボンの左裾付近であるところ、請求人は、犯行現場から逃走の途中たまたま両手が本件ズボンに触れたらヌラヌラと血が付いていたと自供しているのみで特に変った姿勢や状況のなかで手がズボンに触れたとはいっていないことに照らし、右自供中のヌラヌラとしていた部分は、請求人の着用していたズボンのうち立位の姿勢で通常の動作により手で触れる範囲内の位置であったと考えるほかないから、平塚鑑定が確認した血液付着の位置は右の自白にそぐわず、また請求人の自供によれば本件ズボンの手で触れる位置にヌラヌラするほどの多量の血液が付着し、既に触れたとおり本件犯行後一回目の洗濯まで約三八分経過していたことになるのであるから、その洗濯時までに血液が繊維に相当滲透しているというほかないのに、平塚鑑定人は僅かに右のズボンの左裾付近に粟粒大の血痕一個のみを認めそれ以外の部分に血液付着を認めていないのであるから、これまた右自供にそぐわないし、また船尾血痕検査成績においては、本件ズボンの前股ボタン左下方に一点だけ微量の人血付着を認めその余の部分に血液の付着を認めていないところ、付着点がただ一点にすぎず、かつその付着点における血液量が極めて微量である点において請求人の前記自白にそぐわないというべきである。そして、平塚鑑定は、前述のとおり本件発生後二ヶ月以内になされたものであるのに本件ジャンパーには血液の付着を認めず、本件ズボンについてはその左裾付近に粟粒大の血痕一個の付着しか認めず、また船尾血痕検査成績は、前述のとおり本件発生後約六年八ヶ月を経てなされたものであるが、本件ジャンパーには血液の付着を認めず、本件ズボンについては前股ボタン左下方に一点だけ微量に付着した人血痕を発見しているに過ぎないことを考慮すると、平塚鑑定及び船尾血痕検査成績は、本件ジャンパーとズボン(本件ズボンについては平塚鑑定及び船尾血痕検査の際に切り取られた部分を除く。)には当初から血液が付着していなかったとする宮内、木村鑑定を支持するとこそいえ、その有用性を何ら揺るがすものではない。

(四) してみると、本件ジャンパーとズボンは事件当夜請求人が着用したものとの前提に立って、宮内、木村鑑定の検査方法の選択、検査の実施方法、推論の経過の当否を判断した結果その合理性、妥当性を肯認し、その鑑定結果は信用できるものとして、本件ジャンパーとズボンには当初から血液は付いていなかった(但し平塚鑑定、船尾血痕検査成績により血液あるいは人血が付着しているとされた部分を除く。)蓋然性が高いと判断した原決定に誤りは存しない。

二  掛布団襟当ての血痕について

1  須山弘文鑑定書(五二・八・七)及び木村康鑑定書(五三・九・二七)並びに証人須山弘文及び同木村康の五三・一二・一八各証言(以下これらを一括して須山、木村鑑定という。)は、新たな証拠方法であり、かつ従前本件掛布団襟当てに付着する血痕様斑痕についてなされ裁判所に提出された三木、古畑鑑定書の証拠価値を批判するものであって、証拠資料として新たな意義内容を有するものであることは、原決定記載のとおりである(所論もこの点は争わない。)。

2  三木、古畑鑑定の証拠価値について

(一)(1) 本件掛布団襟当てに付着する血痕様斑痕についてなされた三木、古畑鑑定の証拠価値に関する原決定の判断につき、所論は以下のとおり非難する。

原決定は、「本件掛布団襟当ての血痕を鑑定した三木、古畑鑑定の結論は、須山、木村鑑定に照らし、厳密には襟当てに付着する多数の血痕様斑痕が同一の機会ないしは同一の機序により生じたという前提条件のもとでのみに妥当するものであり、その前提条件の充足が請求人の自白を含めすべての証拠と合わせて考察しても結局完全には解明されない本件においては、その結論がそのまま妥当するものでないことが明らかとなった。もっともこのことは三木鑑定及び古畑鑑定の証拠価値が全く皆無に帰したことを意味するものではなく、掛布団襟当てに存在する多数の斑痕の一部に被害者らの血液と同型のA型又はその外にもO型の人血が付着していることの蓋然性を認める資料としてその限度でなお証拠価値を有し、請求人の自白の補強証拠となるけれども、微量血痕のため不十分な鑑定結果とならざるを得なかったことから、その証拠価値には多くを期待することができなく、これらの鑑定の結論がそのまま妥当する場合に比較して証拠価値が著しく減弱したものとなった。ところで三木鑑定書にはその鑑定経過として鑑定の方法が詳細に記述されており、それによれば鑑定方法に包蔵される前記のような問題点の指摘も鑑定書のうち一部なされているし、また確定判決をした一審裁判所における審理においてもその問題点を意識した証人尋問が行なわれているから、確定判決においてはこれらの問題点を一応考慮のうえで心証を形成したものと認められる。しかしながら、もしその審理手続において須山鑑定書及び木村鑑定書並びに須山、木村証言が提出され、三木、古畑鑑定についての専門的な批判がなされたとすれば、心証形成上影響を及ぼすことは十分考えられ、二審判決の説示するように、三木鑑定及び古畑鑑定の結論を採用し、掛布団襟当てに表裏合わせて八五個の血痕があり、これにA型又はその他にO型の人血が混在しており、被害者らの全部又は一部の者の血液が付着している可能性が極めて高いとの事実を認定して請求人の自白が掛布団襟当てに付着した血痕により科学的に殆ど決定的に裏付けられているとの心証に到達しえたかは疑問があるといわざるを得ない。」と判断した。

もとより本件掛布団襟当てに存在する多数の血痕様斑痕に関する三木鑑定及び古畑鑑定の各結論は、原決定も述べているように右血痕様斑痕が同一の機会ないし同一の機序により生じたという前提条件を充たすならば妥当であると解されるところ、右前提条件は斑痕の数、性状、位置、方向、斑痕付着物件の状況、請求人の自白、船尾忠孝鑑定書(三六・一一・一八)等により十分に充たされていると認められるから、須山、木村鑑定に依拠して右前提条件は充足されていないとした原決定の判断には誤りがあり、右前提条件が充足されている以上、三木、古畑鑑定の証拠価値が著しく減弱したとされるべきいわれはないから、三木、古畑鑑定の証拠価値は、木村、須山鑑定の批判によってもいささかも動揺するものではない。

(2) そこで当裁判所は、右所論が三木、古畑鑑定の証拠価値に関するものであることを考慮し、以下三木、古畑鑑定の内容を先ず検討し、次いで原決定が、須山、木村鑑定に依拠して三木、古畑鑑定は前記条件を充足していないから本件においてはその結論がそのまま妥当しないと批判していることが明らかであるから、三木、古畑鑑定がその批判にたえ得るか、すなわち原決定の判断が肯認できるか否かを検討し、更に木村鑑定において指摘する三木、古畑鑑定のその余の問題点について検討する。

(二) 三木鑑定書(三二・三・二三)及び古畑鑑定書(三二・七・一七)の鑑定内容

(1) 鑑定人三木敏行は、掛布団(襟当て付き)一枚、敷布一枚、男下駄二足の各鑑定資料につき、血痕付着の有無、付着しているとすれば人血なるや否や、人血なればその血液型、付着状況の詳細、血液は被害者のものであるかどうか、血液付着の時期、その他参考事項につき鑑定することを嘱託され鑑定した結果、

(ア)掛布団には白色の襟当て部に血痕を認めるが、襟当て以外の部分には血痕の存在を立証し得ない。(イ)襟当てには人血が付着していると考えられる。この血痕が一名の血液に由来するのであれば、その血液型はA型で、二名以上の血液に由来するのであれば、それらの人の血液型はすべてA型であるか、あるいはA型とO型が混在したと考えられる。(ウ)襟当てには微細な血痕が多数散在し、襟当ての上部(布団の表面側)には三五群襟当ての下部(布団の裏面側すなわち体の触れる側)には五〇群ある。その血痕の存在状況を全般的に観察すると右側に多く、中央部では疎らで、表面側より裏面側に多い。不規則にあり、一定の配列を認めない。これらの個々の血痕はいずれも少量の血痕を擦りつけたり、微量の血液を圧し当てたり、あるいは軽く接触することにより生じたもので、血液が噴出、あるいは滴下して生じたのではないと考えるのが妥当と思われる。襟当て全般の血痕の付着状況から、現実にどのようにしてこの血痕が生じたかを明らかにすることは困難であった。(エ)本件の被害者のうち小原忠兵衛のみの血液がこの襟当てに付着したことは否定してよいと思われる。他の三名の被害者小原よし子、同淑子、同優一のうちの一名の血液が付着した可能性、四名の被害者の血液のうちのいずれかの二名ないし三名の血液が共に付着した可能性、四名の血液がすべて付着した可能性はあると思われる。(オ)襟当てに血液付着後検査時(昭和三〇年一二月一二日)までの経過期間は明らかにしがたいが十数田ないし一ヶ年と思われる。(カ)敷布、男下駄二足には血痕の付着を立証しえない。

と鑑定した。

なお、右三木鑑定書を仔細に検討すると、襟当てに存在する血痕群の正確な数は、血痕ではないと判定された四群の斑痕を除いて表面側に三三群、裏面側に四八群であると認められ、また同鑑定書により、被害者小原忠兵衛の血液型はO型、同よし子、同淑子及び同優一の血液型はいずれもA型であることが認められる。

(2) 鑑定人古畑種基は、掛布団(襟当て付き)一枚及び請求人と斎藤彰(請求人の弟)の各血液を鑑定資料として、掛布団に血液が付着しているかどうか、付着しているとすればそれは人血であるかどうか、人血であるとすればその血液型如何、その付着の時期及び状況、請求人及び斎藤彰の血液型如何、について鑑定することを嘱託され鑑定した結果、

(ア)掛布団(襟当て付き)の主として襟当ての部分に限られて多数の血液が付いており、(イ)それは人血であり、(ウ)一名の人に由来するものとすると、その血液型はA型であるが、二名以上の人に由来するものであれば、更にA型あるいはO型の血液がまじっていることも考えられる。(エ)血液が付いてから少くとも数ヶ月から一年以上たっている(鑑定作業は昭和三二年六月一日から同年七月一七日まで行なわれた。)ものと推定されるが、どのような状況で付いたものか明らかにすることはできない。(オ)請求人の血液型はBMNqs型である。(カ)斉藤彰の血液型はBMNqS型である。

と鑑定した。

(3) 以上の各鑑定を通覧すると、掛布団(襟当て付き)を鑑定資料とする鑑定については、掛布団(特に襟当て部分)に多数の血痕が付着し、その血痕は人血によるものであること、その血液型は一名の人に由来するものであればA型、二名以上の人に由来するものであればA型のみ、又はA型にO型が混在していると考えられること、血液が付着した時期については、三木鑑定においては昭和二九年一二月から同三〇年一一月末ころまでとされ、古畑鑑定においては血液が付着した時期から鑑定が行なわれた昭和三二年七月まで数ヶ月ないし一年以上経過しているとされ、ともに、右の期間中には本件事件発生時が含まれるが、血液付着時期を的確に特定するには時間的に大きな幅がありすぎることに共通点がある。そしてまた前記のとおり右各鑑定の血液型についての鑑定結果が同一であることに徴すれば、古畑鑑定人も三木鑑定の「本件被害者のうち、小原忠兵衛のみの血液がこの襟当てに付着したことは否定してよいと思われる。他の三名の被害者のうちの一名の血液が付着した可能性、四名の被害者のうちのいずれか二名ないし三名の血液が共に付着した可能性、四名の血液がすべて付着した可能性はあると思われる。」との鑑定結果を肯認することになると思われ、古畑鑑定書において鑑定結果としては記載されていないけれども、「血液付着の状況」についての説明として、「血痕は主として布団の襟当ての部分に限られて表(体に触れない側)、裏(体に触れる側)ともに非常に小さな点状のものが多数散らばってついており、これに少数の線状のものがまじっているだけで、一定の配列、一定の方向などはまったく認められない。一般に小さな多数の血痕は飛散する血液の量、速度、角度などにより、かなり規則正しくついているものであり、ある程度まで当時の状況を推測することができるのであるが、この場合はあまりにも不規則で、しかも殆んど襟当ての部分だけに付いているところから、具体的にどのような状況で付いたものか明らかにすることは極めて難しい。強いて説明すると、血液がある物体、たとえば人の頭髪などにつき、それが二次的に触れたためできたものとも考えられる。」と記載しているところを見ると、三木、古畑鑑定は、ともに本件掛布団襟当てに付着した多数の血痕がどのような状況で付着したかについては積極的に鑑定することはできないが、一定の配列もなく不規則に付着していること、血液が噴出したり滴下して生じたものではない(一次的付着の否定)とした点でもその見解は共通であり、また一旦ある物体(三木鑑定は特定せず、古畑鑑定は一例として頭髪をあげる。)に付着した血液が更に掛布団襟当てに付着したと見るべきであるとした点においても共通の見解を示していることが明らかである。

更に右各鑑定結果を見ると、人血痕の存在の状況、血液型についての鑑定は相当の確信をもって行なったと認められるが、血痕付着の状況については、一次付着の状況と異ることを指摘してはいるものの、それ以上に進んでいかなる状況、方法により付着したかの説明部分は可能性ある事象あるいは原因をかかげておくといった程度の見解を述べたに過ぎないことが明らかである。

なお、三木鑑定が掛布団には襟当て以外の部分に血痕の存在を立証し得ないとしているのに対し、古畑鑑定が掛布団裏側(体の当る側)の右寄りで布団襟当て下端よりやや下の部分に若干数の血痕が付着していると鑑定している点において右両鑑定間に食い違いがあるが、原決定は、右三木、古畑鑑定の掛布団襟当ての血痕についての鑑定の結論の部分についてのみ、それが前記前提条件を完全には充足していないので証拠価値が減弱したと判断したに過ぎず、右襟当て以外の部分についてなされた右両鑑定の証拠価値が減弱したとかしないとか判断しているわけではないことが明らかであるから、抗告審として原決定の判断の当否を吟味すべき立場にある当裁判所としては、三木、古畑鑑定中掛布団襟当て以外の部分に対する鑑定結果については言及する要をみない。従って以後三木、古畑鑑定というときは、右各鑑定中掛布団襟当てに関する部分のみを指すこととする。

(三) 三木、古畑鑑定の信用性(特に同一機会、同一機序の条件の充足の有無)について

(1) 原決定の判断と検察官の右判断に対する批判

(ア) 原決定の判断

須山、木村鑑定で指摘している問題点は、(a)両鑑定がともに指摘している問題点として、三木、古畑鑑定においては多数の斑痕中の一部のみについて、しかも複数の斑痕を集めて人血試験や血液型検査を行なっているので、個々の斑痕について三木鑑定及び古畑鑑定の結論を導くにはこれらの斑痕が同一の機会ないしは同一の機序で生じたことの前提がなければならないこと、(b)更に木村鑑定の指摘している問題点として、三木鑑定においては血痕検査方法として通常行なわれている全過程の検査を経た斑痕は一つもないので複数の斑痕を集めて検査したこととも合わせて、結局三木鑑定では斑痕の殆どが人血か否か判らなく、また斑痕全部の血液型が不明であること、(c)木村鑑定の指摘しているもう一つの問題点として、古畑鑑定の成績からはAB型の血液型と判定するのが妥当であるとの三点である。そこで右各点について考察すると、多数の斑痕中の一部のみについて、しかも複数の斑痕を集めて人血試験や血液型検査を行なう方法によっては検査を経なかった斑痕のうちには検査成績と異なるものがあり得ること、複数の斑痕を集めて検査した成績が集められた斑痕の全部に由来するものとは必らずしもいえないことは理論上当然であるから、厳密な解釈により三木、古畑鑑定の結論を承認するには斑痕の全部が同一の機会ないしは同一の機序により生じたという前提がなければならないとした須山、木村鑑定の理論は肯定できる。

ところで右の前提条件の充足は、これらの鑑定(三木、古畑鑑定)自体において解明されていることは必らずしも必要ではなく、自白をも含めてすべての資料により解明されれば足りると解されるのであるが、本件においてはこれらの鑑定自体において右の前提条件の充足が解明されていないばかりか、請求人の自白を含めすべての証拠を総合してもその解明は完全にはなされていないものと認められる。

次に右の前提条件の充足が認められない場合に、これらの鑑定がどの程度の証拠価値を有するかについて考察を進めると、三木鑑定においては、襟当ての表裏合わせて八五群のうち血痕らしい色調の斑痕一三群をほとんど無作為に抽出してグアヤック検査法により血痕予備試験をした結果例外なく陽性であったというのであり、このことに掛布団襟当てが日常茶飯時に血痕が付着するようなものではないこと、またヘモクロモーゲン検査法による検査を行なった一一群の斑痕全部が陽性を示したこと、更には三木鑑定人が肉眼的観察により全斑痕が均質のものであると判断していることをも考えれば、多数存在する血痕様斑痕の少くとも一部斑痕にA型又はその外にO型の人血が付着していることの蓋然性が残されているものとみることができるから、この限度においては三木鑑定の結論を承認することができるし、古畑鑑定についても、右鑑定の方法と検査成績によれば検査対象とされた複数の斑痕にすべて人血が付着していることが認められ、更に右複数の斑痕中にはAB型の人血が付着しているとみる余地もあるが、A型又はその外にO型の人血が付着しているとみるべき蓋然性もなお残されているものと考えられ、古畑鑑定の結論を右の限度で承認することができる。

以上の次第で三木、古畑鑑定は前記前提条件の充足が認められない場合においても、なお掛布団襟当てに存在する多数の血痕様色調の斑痕のうち少くとも一部にA型又はその外にO型の人血が血痕として付着していることの蓋然性を認める資料としてその限度でなお証拠価値を有し、請求人の自白の補強証拠となり得るが、微量血痕のため不十分な鑑定結果とならざるを得なかったことからその証拠価値には多くを期待することができなく、これらの鑑定の結論がそのまま妥当する場合に比較して証拠価値が著しく減弱したものとなった。

(イ) 検察官の所論は原決定の判断中、三木、古畑鑑定の結論が承認されるには、掛布団襟当てに付着した多数の血痕様斑痕が同一の機会ないしは同一の機序で生じたとの前提要件が充足されていなければならないとする点及び右前提条件の充足はこれらの鑑定自体において解明される必要はなく、自白をも含めすべての資料により解明されれば足りるとした点を容認し、そのうえで自白を含めたすべての資料により、右前提条件が充足されていると認められるから、原決定が右前提条件の不充足により三木、古畑鑑定の証拠価値は著しく減弱したと判断したのは誤りであると主張するものである。

(2) よって所論にかんがみ考察すると、三木、古畑鑑定はいずれも、本件掛布団襟当てに付着する多数の血痕様斑痕のすべてを検査したうえそれが人血であるか否か及びその血液型を判定したのではなく、襟当てに付着した血痕様斑痕の一部について検査をしそれが人血であるとの結果を得たことから、検査をしていない血痕様斑痕も人血に由来するとの推定を及ぼし、またその多数ある血痕様斑痕の一部を集めて血液型を検査し、その血液型は一名に由来するとすればA型、二名以上に由来するとすればA型のみ、又はこれにO型の血液が混在する可能性があると判定し、その判定の結果を検査対象としなかった血痕様斑痕にまで及ぼした(なお後記のとおり、三木鑑定において肉眼検査により血痕でないらしいと考えられ、グアヤック検査、ルミノール検査により血痕ではないと判定された四群の斑痕があるが、当然のことながらこの四群の斑痕については右の各推定を及ぼしていない。)ことが明らかであるところ、当裁判所も右の各推定が成り立つためには、その多数の血痕様斑痕が同一の機会ないし同一の機序により付着したとの前提条件を充足することを要するとの点、その前提条件の充足の解明のためには鑑定自体はもとより自白をも含めすべての資料を使用することができるとする点は原決定の判断と同じである。

そこで進んで右三木、古畑鑑定自体及び請求人の自白を含めすべての証拠を総合した場合前記前提条件の充足が解明されているか否かについて考えると、以下の理由により、三木鑑定において人血によるものではないと判定された四群の斑痕を除き、同一の機会ないし同一の機序により付着したものと認めることができる。

(ア) 三木鑑定書、証人三木敏行の各証言(三二・四・三〇及び五四・一・二〇)によれば、三木敏行鑑定人は、本件掛布団襟当てを肉眼により観察し、その表面側(掛布団表側に縫いつけられた部分)にも裏面側(掛布団の裏側すなわち体の接触する側に縫いつけられた部分)にも全般にわたって微量の赤褐色の斑痕(血痕様斑痕)が多数散在し、いずれも形が小さく不規則形で噴出したり滴下したりした形状ではなく、その並び方には一定の方向や系列はなく、極めて乱雑ではあるが圧し当てて擦ったようなもの、単に圧し当てただけのようなものである旨その付着状況を総括しているのであって、右総括結果によれば、掛布団襟当てに散在する血痕様斑痕は微量の血液を圧し当てたり、あるいは軽く接触することにより生じたと考えられる点において共通性を有することを確かめていること、右肉眼検査により血痕と思われた斑痕中の一部すなわち襟当て表面の右側に存する六群、中央付近のもの一群、左側のもの一群、裏面の右側に存する二群、中央やや右寄り付近、中央付近、中央よりやや左寄りにそれぞれ存する各一群にグアヤック検査法による検査を施したが、その斑痕は本件襟当てに散在する多数の血痕様斑痕から襟当ての各部分ごとに適宜抽出されたもので、襟当ての全血痕様斑痕に代替し得るように抽出されたと評価することができるところ、その検査結果はいずれも陽性の反応を示すことを確認したこと(なお肉眼検査により血痕でないらしいと考えたがグアヤック検査法による検査を施し、その結果反応が陰性であることを確認したものが四群ある。)、また肉眼検査により血痕と思われた斑痕の一部、すなわち襟当ての表面の右側の三群及び左側の一群、裏面の右側の二群及び中央付近の一群にルミノール検査法による検査を施したがその各群はこれまた襟当ての全血痕様斑痕に代替し得るように適宜抽出されたものと評価し得るところ、その検査結果はすべて陽性の反応を示すことを確認したこと(なお前記グアヤック検査法により陰性であることを確認した四群の斑痕についてもルミノール検査を施したが陰性を示した。)、前同様に肉眼検査により血痕と思われた斑痕の一部、すなわち襟当ての表面の右側三群、左側一群、裏面の右側三群、中央付近四群、左側一群にヘモクロモーゲン検査法による検査を施したが、その各群も前同様襟当ての全血痕様斑痕に代替し得るように適宜抽出されたと評価し得るところ、その検査結果はすべて陽性反応を示すことを確かめたこと、次いで襟当て表面の右側の二群、中央付近の二群、左側の四群、裏面の右側の三群、中央右寄りの三群、中央付近の一群、左側の二群を切り取り、表面側のもの、裏面側のものをそれぞれにまとめて浸出液を作り、いずれに対しても抗人グロビン沈降素による検査法を施したが、右の各群は適宜に抽出されたもので、襟当ての全血痕様斑痕に代替し得るようになされた抽出と評価し得るところ、その検査結果はいずれも陽性反応を呈することを確かめたのち、更にいずれの浸出液の血液型もA型の反応を呈することを確かめたことが認められる。

以上認定のとおり、三木鑑定における検査の方法、検査結果によれば、本件掛布団襟当てに付着する血痕様斑痕中検査対象となったそれぞれの斑痕は、いずれも他の斑痕を代替し得るように抽出されたものと評価でき、かつ肉眼検査、グアヤック検査、ルミノール検査、ヘモクロモーゲン検査においてそれぞれ同一結果を示しているのであるから、このことは血痕ではないと判定された前記の四群の斑痕を除く右全斑痕が同一の機会ないし同一の機序により付着したと推認し得る根拠を示すというに足りる。

(イ) 次に、新証拠を含む全資料を精査検討しても本件掛布団襟当てに付着した血痕が二個以上の機会に異る機序により生じたと認めるべきものを見出すことができない。

三木、古畑鑑定を批判する須山、木村鑑定は、三木、古畑鑑定がその証拠価値を認められるには前記の前提条件の充足を要するのに右両鑑定はこれを充足していないと批判するのみで、本件掛布団襟当てに付着する多数の血痕が二個以上の機会に異なる機序によって付着したと認めるべきであるとの根拠を何も示していない。なお記録によると、請求人は本件事件発生日より少し前の昭和三〇年八月中の午後七時二〇分ころ高橋一を殴打し傷害を与えたことが認められるが、その傷害の部位は左下顎臼歯部であり、それ故同人の血液(血液型不明)が請求人の身体や衣服に付着したとは考えにくいし、仮に右高橋の血液が請求人の身体や衣服に付着したとしても、請求人が就寝する際に本件掛布団襟当ての全面に多数の斑痕を生ぜしめる程大量の血液が付着したとか、請求人がこれを就寝時まで放置していたとは到底考えられない(すなわち、右傷害行為によって、請求人の身体や衣服に右高橋の血液が付着し、それが二次的、三次的に本件掛布団襟当てに付着する機会、機序を見出すことができない。)。また請求人が本件事件を犯したか否かを考慮外にすると、請求人が右高橋に対する傷害事件以外に、本件掛布団の使用直前に、自己の身体や衣服に他人の血液を付着させることがあったと認める資料は全くない(すなわち、他に何らかの事由により請求人の身体や衣服に他人の血液が付着し、それが二次的、三次的に本件掛布団襟当てに付着する機会、機序の存在が認められない。)。更に、記録によると請求人とその弟彰は本件掛布団の使用者であり、共に血液型がB型であり、ことに彰は鼻血を出す癖があったこと、従って仮に、請求人や弟彰の血液が本件掛布団襟当てに付着したとすれば、その襟当てを鑑定対象物件として繰り返しなされた三木鑑定の際にその血液型が容易に発見されたと思われる(ただし古畑鑑定の成績からAB型の血液型と判定するのが妥当である、従って本件掛布団襟当ての血痕にはA型の血液によるものとB型の血液によるものとが混在する可能性があることになるとの木村鑑定の批判については後に検討する。)のに、遂にこれを発見していないことが認められるから、右両者の血液が本件掛布団襟当てに付着したとは到底考えられない(すなわち右両名の血液が、直接又は二次的、三次的に本件掛布団襟当てに付着した機会、機序が認められない。)。なおまた、資料を精査検討しても、本件掛布団を使用する可能性のある親族(血液型がA型及びAB型の者がいない。)が、その血液を本件掛布団襟当てに付着させたとか、布団の使用直前に他人の血液をその身体や衣服に付着させ、これを更に右襟当てに転着させたと認めるべき資料もない(すなわち親族の血液が、又は親族を介して他人の血液が二次的、三次的に本件掛布団襟当てに付着する機会、機序が認められない。)。

(ウ) 以上を総合して見ると、本件掛布団襟当てに付着した血痕は同一の機会に同一の機序により付着した血液によって形成されたものと認めるのがごく自然である。してみれば前記三木鑑定及び同鑑定を前提としその信頼性に依拠して新たに本件掛布団襟当てに付着した血痕の血液型等についてなされた古畑鑑定には、いずれも前記の前提条件が充足されている、ということができる。

(3) 原決定は、木村鑑定が指摘する三木鑑定についての問題点、すなわち、三木鑑定においては血痕検査方法として通常行なわれている全過程の検査を経た斑痕が一つもないので、多数の斑痕を集めて検査したこととも合わせて、結局三木鑑定では斑痕のほとんどが人血か否か判らなく、また斑痕全部の血液型が不明であるとの批判には判断を示さず、また古畑鑑定の成績からはAB型の血液型と判定するのが妥当であるとの木村鑑定の批判に依拠して、本件掛布団襟当てに付着した血液型AB型と見る余地があると判示する。

そこで三木、古畑鑑定の信用性を判断するについては、更に右木村鑑定の批判が妥当するか否かについても判断の要があると考えられるので検討すると、以下のとおりである。

(ア) 木村鑑定書の指摘する批判にかんがみ三木鑑定書を検討すると、同鑑定人が本件掛布団襟当てに存在する多数の血痕様斑痕の血痕検査において通常行なわれる全過程の検査を経たものが一つもないこと、そしてまた、或る物体に付着した血痕様斑痕が多数ある場合、その血痕様斑痕の一つ一つにつき血痕検査として通常行なわれる全過程の検査を施すことにより、各血痕様斑痕が人血によるものであるか否か、人血であるとすればその血液型は何型かを鑑定することが、その鑑定の信用性を高めるものとして望ましいといえることは、木村鑑定が指摘するとおりである。しかしながら三木鑑定書及び証人三木敏行の各証言(三二・四・三〇及び五四・一・二〇)によれば、三木鑑定人は本件掛布団襟当てに付着する多数の血痕様斑痕の一つ一つが微量で、単一の斑痕について通常の血痕検査方法として行なわれる全過程の検査を施すことが困難なため、この難点を克服すべく肉眼的検査により血痕らしいと認めた斑痕のうちから適宜抽出(その抽出が他の斑痕を代替し得るようになされたと評価できることは既に述べたとおりである。)してグアヤック検査、ルミノール検査、ヘモクロモーゲン検査により同一の特性を有することを確かめたうえで抗人グロビン検査により襟当て付着の斑痕が人血によるものであることを確認し、進んでその血液型を判定したものであることが明らかであるから、前記木村鑑定の批判によって三木鑑定の信用性が動揺させられたとすることはできない。

(イ) 次に古畑鑑定に対する木村鑑定の批判にかんがみ古畑鑑定書を見ると、同鑑定人は本件掛布団襟当てが全体に汚染されており、その汚染は血液型が共にB型である請求人及び請求人の弟の斎藤彰が使用していたため同人らの体液等により襟当て布地全体がB型物質により汚染されていることもあり得ることを考慮し、襟当てのうち人血の付着していない布地部分がB型の反応を呈することを確認し、人血痕部分も襟当て布地に血液付着以前からあったB型物質により汚染されていると推断し、その影響を除いて考察すると、血痕の血液型はA型と判定されるとしたもので、その思考方法に欠陥はなく、本件掛布団襟当てに付着した血痕の血液型についての古畑鑑定結果は十分に信用できる。

(4) 以上検討してきたところによれば、三木、古畑各鑑定の内容は、須山、木村鑑定の批判に十分に耐え得るものであり、他に三木、古畑鑑定の結果を左右するに足る新証拠はないから、右両鑑定の鑑定結果は十分信用に値するといわねばならない。

(四) 三木、古畑鑑定が信用できることと、確定判決及び二審判決説示との関係

前記のとおり三木、古畑鑑定は十分信用に値するということができ、その結果、本件掛布団襟当てには、三木鑑定において血痕ではないと判定された斑痕を除き、一名の人血に由来するとすればA型、二名以上の人血に由来するものとすればA型のみの人血又はA型とO型の人血が混在する可能性のある人血が付着していること、血液が付着した時期についてはかなりの長期間にわたってしか特定することができないが、その時期中には本件犯行時が含まれること、その付着は同一の機会ないし同一の機序によりなされたと認められること、更には右付着血痕は一定の配列もなく不規則に付着したものでその機序を具体的に説明することはできないが、一旦本件掛布団襟当て以外の物体に付着した血液が更に本件掛布団襟当てに付着したこと、が明らかとなる。

ところで旧証拠によれば、被害者小原忠兵衛の血液型はO型、その妻よし子、男の子優一、女の子淑子のそれはA型であること、A型の血液を本件掛布団襟当てに付着させた原因としては請求人の自白する原因以外に認められないこと、請求人は本件掛布団襟当てに血液が付着した原因として、「所掲の刃渡約八センチメートルの薪割り一丁を用いて、就寝中の忠兵衛の頭を三、四回殴りつけ、次に忠兵衛の妻の頭を、更に男の子の頭を、更にまた女の子の頭を順次右薪割りで三、四回程ずつ殴りつけた。」「帰る途中山道と割れ山の県道に出る中間頃に行った時振り返ると、忠兵衛方の方が赤くなって燃えていた。……その振り向いた時両手がズボンに触ってヌラヌラとしたので血が一杯付いていると感じた。……また真暗なので何処に付いているか判らないのでそのままでは帰れないと考え、家の方へ行く途中大沢堤の溜池でジャンパーとズボンをぬぎ、最初はズボン、次にジャンパーを……洗った。手、顔、足を洗ったが髪は洗わなかったから、或いは血痕がついてたかも知れない。(約二時間)杉林に入って休んでから家に帰り、ズボンとジャンパーを脱いでから、床に入って寝た。」と供述していること、が明らかである。

そうすると、三木、古畑鑑定を含む旧証拠のみに依拠するならば、二審判決が説示するように「(本件掛布団襟当てに付着した血液は、)被告人の頭髪に付いた血液が襟当てに付着したものとみられる(掛布団を頭にかぶれば頭髪に付いた血が掛布団裏側に該当する部分の襟当てに付着するのが自然で、その際頭髪から手に付いた血が更に掛布団表側に該当する部分の襟当てにも付着することが考えられる。)。従って右襟当ての血液は被害者忠兵衛のみの血液ではないが、他の三名の被害者のうちの一名、二名ないし三名又は被害者ら四名全部の血液が付着したものである可能性が極めて高いと認めざるを得ないのである。」との推論も成り立ち得ることは否定できないところである。

三  本件ジャンパーとズボンに当初から血液が付着しなかった蓋然性が高いと判断されることが確定判決に与える影響

1  確定判決及び二審判決説示の内容は第一の二及び三に摘記したとおりであるが、その思考過程を考えると、

(一)(1) 請求人がその自白どおりの殺害行為をしたとすれば、請求人は本件ジャンパーとズボンに返り血を浴びているばかりでなく頭髪にも返り血を浴びたであろうとの推論が働らく。

(2) 右の推論中本件ズボンに被害者らの血が付いたことは請求人の自白(両手がズボンに触ったらヌラヌラした。)がこれを裏付ける関係にあるが、この自白が信用できるならば、このことは他面本件犯行によって請求人の頭髪に被害者らの血が多量に付いたことを推定させる。なお本件ジャンパーとズボンに被害者らの血液型と同型の血液が付着していることを認定しうる直接の証拠はないが、洗濯によってその血液が洗い流されたと考えて差支えない。

(3) 請求人の頭髪に被害者らの血液が付着しかつ請求人がその自白どおり頭髪を洗わないで帰宅し常用の布団で寝たとすれば、本件掛布団が常用の布団であることが証拠上明らかであるから、本件掛布団襟当てに請求人の頭髪が接触したり擦りつけられたりし、これによって請求人の頭髪についた血液が直接に、又は手を介するなどして間接に、掛布団襟当ての裏又は表に付着する筈である。しかるところ、本件掛布団の襟当てから被害者らの血液型と同型の人血痕が発見されたこと及びその付着態様が二次的、三次的付着であることが右の推論を裏付ける関係にある。

(二) 請求人の捜査官に対する自白供述は任意性に欠けるところがないうえ、経験者でなければよく述べえないことを含み、他の証拠によって認められる事実に合致し、不自然、不合理な点がなく、本件掛布団襟当ての血痕によって科学的に殆ど決定的に裏付けられている(その血液型が被害者らの血液型と同型であること、その付着が二次的、三次的成因によるものである。)といえるから、信用することができる。

(三) 従って本件殺害行為及び放火行為は請求人の所為にかかるものと認めて誤りがない。

との思考過程をたどったものと認められる。

2(一)  さて、新証拠である宮内、木村鑑定により、本件ジャンパーとズボンから血液が発見されないのは、本件ジャンパーとズボンを洗濯したことによるわけではなく、当初から血液が付着していなかった蓋然性が極めて高いことによると認定できることは既に述べたとおりである。そうであれば、請求人が仮に本件殺害行為に及んだとすると、その犯行により返り血が本件ジャンパーとズボンに付着しないにもかかわらず請求人の頭髪にのみこれが付着するであろうかという重大な疑問に逢着する。返り血が本件ジャンパーとズボンに付着しないのに頭髪にのみ付着したとするのは極めて不自然で著しく合理性に欠けるといわざるをえず、むしろ本件ジャンパーとズボンに血が付かないとすれば、頭髪にも返り血が付かないとするのが自然であり合理的である。すると、本件犯行によって請求人の頭髪に被害者らの返り血を浴びたとする確定判決及び二審判決の前記推定は維持できないこととなる。そしてこのことは、請求人が本件犯行のあった時刻のあとで帰宅し本件掛布団を用いて就寝したのが事実であり、かつ本件犯行のあった時刻から就寝までの間に頭髪を洗わなかったのが事実であるとしても、また本件掛布団襟当てに付着した血液の付着の成因が二次的、三次的なものであるとしても、更にはこの血の血液型が被害者らの血液型と同型であるとしても、被害者らの血液が請求人の頭髪や手を介して本件掛布団襟当てに付着したと推定することを不可能にする(なお血液が頭髪に付着した場合、相当に違和感、不快感を感ずるであろうし、時間の経過により付着した血液は次第に乾固し果ては血粉となって飛散するのが当然の事態と思われるのに、これらの点が請求人の供述に現われないのも注目に値する。)。

(二) そしてまた本件ジャンパーとズボンに当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いということは、請求人の自白中「(小原忠兵衛方から帰る途中)両手がズボンに触ってヌラヌラしたので血が一杯付いていると感じた」旨の供述部分が虚偽である可能性が極めて高いという結論を導き出すのは当然であり、右の供述が虚偽であるとすると、このことから請求人がズボンにヌラヌラするほど返り血の付くような行為に及んではいないとする合理的疑惑がもたらされる一方、請求人の自白中「大沢堤の溜池でジャンパーとズボンを脱ぎ土手の土を取って混ぜて洗った」「手に血が付いていたように感じたので手と顔を洗った」との供述部分も虚偽である可能性が極めて高いという結論を導き出すのは容易なことである。そうすると、請求人が小原忠兵衛とその家族を殺害したことを自白した点について、確定第一審公判廷において「被疑者として勾留中同房にいた高橋勘市から『ここへ来たらやらないこともやったことにして裁判所の公判のとき本当のことを言えばいいのだ』と教えられて嘘のことを述べた。」と供述し、また「手がズボンに触ったらヌラヌラした」とか「大沢堤の溜池でジャンパーとズボンを洗濯し、手と顔を洗った」と自白した理由として、確定第二審の公判廷において、「捜査官から『血が付かなかったか』と聞かれて(割れ山の県道に出る中間ころの地点で振り返ったとき)ズボンに血が付いていることに気がついたように答え、『血が付いていると判れば洗うかしないと人に知られてしまうだろう』と言われ、ジャンパーとズボンを大沢堤の溜池で洗ったことにしたと述べ、『衣類に血が付くくらいなら手足や顔にも付いたのではないか』と聞かれそうだと思ってそのように述べ、『髪は洗わなかったか』と聞かれ洗わなかったと述べた。」旨供述するところ(請求人は、洗髪をしたかどうかの点は別として、その答の内容となった事実の存在を否定しつつ右のような答をしたと弁解する趣旨であることが、その供述全体に照らし明らかである。)、右の供述は単なる弁解として軽々に排斥することができないこととなる。

(三) 以上の点に立脚して更に考察を進めると、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いということは、窮極的には、請求人の「就寝中の小原忠兵衛及びその妻子の頭部を薪割りで次々と切りつけて同人らを殺害した」「犯跡隠蔽のため小原忠兵衛宅に放火した」旨の最も重要な供述部分が虚偽である可能性が極めて高く信用できない、とする重大な疑惑をもたらし、従って「捜査官から、火をつけておいて『(小原忠兵衛方)が燃えたかどうか確かめてみなかったか』と質問され、帰途割れ山の県道に出る中間ころに行った時振り返ってみると忠兵衛方の方が赤くなっていた」と答えてしまった旨の確定第二審公判廷における弁解も単なる弁解として軽々に排斥することができない。

3(一)  すでに述べたとおり、確定判決及び二審判決説示は、請求人の自白は、その中に経験者でなければ知りえない事項を含み、他の証拠によって認められる事実に合致し、不自然、不合理な点がなく本件掛布団襟当ての血痕によって科学的に殆ど決定的に裏付けられるから信用性があるとする。ところで、確定判決及び二審判決説示が掲げる右の理由によって請求人の自白の信用性を認めるに十分であるならば、宮内、木村鑑定の証拠価値を否定しあるいはその証拠価値を無視しうる程度に低いものと評価することができ、宮内、木村鑑定によってもたらされる前記の疑いは合理性のないものとして払拭され又は根拠薄弱なものとして無視しうることとなるであろう。そこで以下この問題について検討する。

(二) 確定判決及び二審判決説示は、(1)請求人の自白中、経験者でなければ述べえない事項の主なものとして、(ア)「(被害者方へ行くには)一一時頃で早いと思い、瓦工場の釜の中で休んで行こうと思い、そこには釜が三つ宛二通りあるが、手前の一番東側の釜の中に入って休んだが、その中には藁が積み重ねてあるのを前から知っていたので、中の藁に腰かけたり、あお向けになったりして、約三時間位休んだ」との供述、(イ)「瓦工場の前から船越道路を通り、割れ山の手前の左側の所から山道に入り、そこから山道を歩いて上野新一方前の道路に出て、そこから忠兵衛方の下の道路に出て忠兵衛方へ行き、帰りも同じ道を引き返した」との供述、(ウ)「一〇分位中の様子を窺ってから玄関の戸を開けたが、施錠がなかったので雑作なくあけられた。電灯は一つだけで、六畳と八畳のほぼ中間の六畳の方にかけてあったと覚えており、六畳と八畳の敷居の障子が一尺五寸位開いていたようで中に寝ていた様子がよく見え、一番よく見えたのは奥さんの頭であった。電灯は余り明るくなく四〇燭光位と思われた」との供述、(エ)「被害者等が八畳間に寝ていた順序は忠兵衛、奥さん、男の子、女の子の順でいずれも頭を六畳間の方にして寝ていたようで、忠兵衛の頭は奥さんの方を向いており、奥さんは頭を上に向けており、男の子と女の子は奥さんの方を向いていた」との供述、(オ)「木小屋に入り、真暗で何が置いてあるか判らなかったが入って行くと足にツカア(痛い意)としたので杉葉と思った」との供述、(カ)「帰る途中山道と割れ山の県道に出る中間頃に行った時振返ると、忠兵衛方の方が赤くなって燃えていた。その振向いたとき両手がズボンに触ってヌラヌラとしたので血が一杯ついていると感じた。そのままでは帰れないと考え、途中大決堤の溜池でジャンパーとズボンをぬぎ、ズボン、ジャンパーの順で土手の土を取って混ぜて洗い、絞ってまたはいた。ズボンをはいているとき船越の方からトラックの来る音がしたので、見つけられては大変と思い土手を山の方へ歩いて杉山にかくれた。杉山の休んだ所へ行く途中大体中間位の所でトラックが通りすぎた。ライトはつけていたように思う。洗濯する前に、手に血がついていたように感じたので手を洗い、顔にも血がついているかも知れないと思い顔を洗い、髪は洗わなかったからあるいは血痕がついていたかも知れない。足も洗った」との供述、(キ)「(杉山にかくれて)約二時間位休み薄明るくなってきたので、六時前後頃帰ったが、途中下駄を持って裸足になって走って行ったが、その間誰にも遭わなかった」との供述及び(ク)「木小屋の杉葉のあったそばに今(昭和三〇年一二月一三日に検察官によって行なわれた検証時を指す。)稲杭が立てかけてあるが、あの晩稲杭にぶつかった記憶がないから、多分あの晩はこの稲杭はこの位置に立てかけてなかったのではないかと思う」との供述を挙げ、(ア)の供述に関し、請求人は第二審公判廷で、小牛田から鹿島台に帰った時刻が午後一〇時すぎで犯行の時刻(翌朝午前三時半ころ)と合わず、その間遊んだことになるので右瓦工場の釜の中で休んだことに創作して述べたと弁解するが、請求人はこれまで右釜の中に入って休んだことがあるので、時間を待つために休息する場所として究竟なところであり、アリバイのたたない請求人が思いつきで創作して述べたとは認められないと説示し、(イ)の供述に関し、請求人は第二審公判廷において、本件のあった部落へ移動製材の仕事をしに行くときはよく右山道を通ったのでそう述べたと弁解するが、右部落へ行くには通常右山道は通らないし、請求人としてはそれまで夜間右山道を一度も通ったことがないことを認めているうえ、検察官のした検証の際に「あの晩ここまで来る途中この辺でつまずいたように記憶する」とか「あの晩はもっと暗かったと思う」と述べていることに徴し、経験者でなければよく述べえないところであり、しかも第一審証人佐々木立平の証言により本件一〇月一八日朝二時すぎころ(請求人が犯行前通ったころとみられる)右山道に沿う同証人方の飼犬(自宅脇を人が通る時のみ唸る習性がある)が唸ったことが認められると説示し、(ウ)の供述に関し、請求人は、第二審公判廷において、忠兵衛方へ行ったことはないが、取調官に問われるままによい加減に創作して述べたと弁解するが、当時忠兵衛方では右の供述する位置に四〇ワットの電灯一個だけを吊し点灯のまま寝ていたことは小原優子の検察官に対する第三回供述調書により認められるので、右供述は経験者としてはじめて述べうるところで到底創作した供述とは認められないと説示し、(エ)の供述に関し、請求人は、第一審及び第二審の公判廷において、被害者の寝ていた順序は新聞紙に載った見取図入りの記事を読んで覚えたのだと弁解するが、新聞記事を見てから約五〇日も経って右の順序を正確に記憶しているということ、ことに寝姿については新聞記事に載っていないことに徴し、経験者でなければよく述べえないところであると説示し、(オ)の供述に関し、杉葉のあった位置は客観的事実と合致するから、請求人の右供述が単なる偶然の一致とは認められないと説示し、(カ)の供述に関し、請求人は第二審公判廷において、(取調官から、忠兵衛方が)燃えたかどうか確かめなかったかと聞かれて、割れ山の県道に出る中間頃に行ったとき振返ってみると忠兵衛方の方が赤くなっていたと答え、血が付かなかったかと聞かれ、右の振返った時血がついていることに気付いたように答え、血が付いていると知れば洗うかしないと人に判られてしまうだろうと言われ、大沢堤の溜池で洗ったことに述べ、衣類に血が付く位なら手足や顔にも付いたのではないかと言われ、そうだと思ってそのように述べ、髪は洗わなかったかと聞かれ、洗わなかったと述べ、馬車か車に会わなかったか、時間的に見て会わないのはおかしいと聞かれ、船越の方からトラックが来たと答え、トラックが来れば見つけられるのではないかと聞かれ、山へ逃げたと述べたと弁解するが、検察官の検証調書(三〇・一二・一三)及び永瀬章作成の鑑定書によれば、忠兵衛方から請求人が振返ったという右の地点まで徒歩での所要時間は約三分であり、請求人の自供する方法で放火して右の振返った地点で空が赤く見えるまでの所要時間は二分半ないし五分であることが認められ、司法警察員に対する鳥海等(三〇・一二・九)及び村上重一(三〇・一二・一二)の各供述調書によれば、忠兵衛方の火災の折の朝四時近く、大沢堤のある県道を船越から鹿島台に向かってライトをつけてトラックを運転したことが認められ、その他ジャンパーやズボンを洗うとき土を混ぜたとか、手足や顔は洗ったが頭髪は洗わなかったとの右供述は経験者でなければよく述べえないところであると説示し、(キ)の供述に関し、請求人は第二審公判廷において、取調官に山にかくれてからすぐ出て行くと火事場へ行く人に見つかるのではないかと言われ、休んだと述べると、どの位休んだかと聞かれ、明るくなってくるまでと述べ、帰りは歩いたかと聞かれ、歩くと見つかることになるので走ったことにしようと思って駈足で帰ったと言うと、それでは下駄の音がしたろうと言うので、下駄をぬいで走ったように述べたと弁解するが、検察官作成の検証調書、第一審証人佐々木しづを、同奥寺剛、同斎藤礼子の各証言によれば、本件一八日朝の五時前頃佐々木しづをが、同人方前の県道を一本松から瓦工場の方へ素足でサッサッと走るように聞こえる足音を聞き変に思って注意した事実が認められ、請求人の右供述は経験者にしてよく述べうるところで創作したものとは認められないと説示し、(ク)の供述に関し、請求人は第二審公判廷において、警察では杉葉に足がさわったと言ってあるし、ほかに何もさわったものがないことになっているので、検察官にぶつかったものはないと述べたと弁解するが、請求人の右供述に基づき取調べた木皿正二の司法警察員に対する供述調書によれば、右稲杭等は本件犯行当時は木小屋の梁上にあったもので、本件後死体解剖等のためこれをおろして使用し、後片付けした際右稲杭一本は梁へあげずに立てかけておいたものであることが認められるから、請求人がよい加減に述べたことが偶然事実に合致したものとは認められないと説示し、(2)更に請求人の自白するところで他の証拠により認められる事実と合致するものとして、(ア)「玄関に入ると左方に岩かまどが置いてあった」との供述(裏付証拠・司法警察員作成の三〇・一〇・一八実況見分調書、第一審証人大窪留蔵の証言)、(イ)「炉に天井から自在鉤がかけてあったようである」との供述(裏付証拠・千葉警部補作成三〇・一二・七発見捜査報告書)、(ウ)「殺害後忠兵衛夫婦の顔が見えぬように何か押入から取り出してその顔にかけた」との供述(裏付証拠・第一審鑑定人三木敏行三一・一二・一三、同村上次男三一・五・二各鑑定書)、(エ)「犯行に使った薪割りは男の子と女の子の中間辺に置いて来た」との供述(裏付証拠・司法警察員作成の三〇・一〇・一八実況見分調書)、(オ)「杉葉を忠兵衛と奥さんの頭に近い所へ置き、障子の下の所の辺に当る部分の杉葉に火をつけ、少し燃え上がったところに木屑の箱の木屑を杉葉の辺りに散らかすようにかけ、空になった箱は木屑を散らかした上においた」との供述(裏付証拠・木屑の点は第一審証人大窪留蔵の証言、佐藤亀次郎作成鑑定書、放火個所の点は永瀬章作成鑑定書)、(カ)兇器が薪割り(証二号)であるとの供述(裏付証拠・右薪割りの表面にみられる条痕は、頭髪が人血液により粘着した後加熱された結果生じたものである点につき、警察庁技官荒井晴夫と丹羽口徹吉共同作成の鑑定書、右薪割りの刃渡りが約八センチメートルであるところ忠兵衛の受けた頭部の割創は刀線の長さ八センチメートル以上ある可成り重い刃器により生じたと推認され、他の被害者についても大体同様である点につき、第一審鑑定人三木敏行作成の三一・一二・一三鑑定書)を挙げる。

しかしながら、右(1)の(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)、(オ)の各供述については、原決定が、種々の観点から検討を加え、請求人が本件犯行当夜経験しなかったとしても供述しえないわけではないとした判断はこれを首肯しえないわけではなく(なお(オ)については、本件犯行当時の松山町やその隣接する地域において生活する者―請求人もその一人である―であれば、農家には木小屋が付設されその中に焚きつけ材料である杉葉も格納され、それが格納された場所及びその付近の床上や地面上に杉葉が散乱していることが多いということをよく知っている筈であり、この点からみても(オ)の供述は、本件犯行当夜経験したことがなくても述べうることがらであるということを付け加えておく。)、(1)の(カ)の供述についてみると、その供述中「(大沢堤の溜池で洗って絞った)ズボンをはいている時、船越の方からトラックが来る音がしたので、見つけられたら大変と思い、土手を山の方へ歩いて杉山にかくれた。かくれる途中トラックが通りすぎた」旨の部分を除いては、宮内、木村鑑定に照らしその信用性に重大な疑義があるといわざるをえないことについてはすでに触れたので更にくだくだしく述べないが、原決定が種々の観点から検討を加え、「ズボンに触ったらヌラヌラした」旨の供述部分は請求人が思いつくままに述べた疑いがあるとした判断(原決定は右の供述が極めて具体性に欠けあいまい模糊としていることが右の判断の一根拠であるとするところ、請求人の供述には、原決定の指摘する点((血液付着の位置、程度、触れた態様))のほか、手のどの部分にヌラヌラした感触をえたのか、ヌラヌラという異様な感触を不意に味わうことになってどのような心情に陥ったか、及びその心情のもとでいかなる行動に出たのか、例えば夜間でよく見えないにしてもヌラヌラしている衣服部分を確かめようとしたか、その他の部分についても血液付着の有無を確かめようとしたか、手に付いたヌラヌラしたものをその場で拭いあるいは拭おうとしたのか、またそのときに衣服を洗うことを決意したのか等々、右のような異様な感触を真に味わったとすれば、当然述べるであろうことがらについて全く言及したところがないのであって、右の「ヌラヌラした」旨の供述は、一見経験した者でなければ供述しえないような面を示しながら、その実体は極端に具体性に欠けあいまい模糊としており、経験した者でなければ述べえない供述といえるかにつき多大の疑問を抱かせるものである。)、「ジャンパーとズボンを大沢堤の溜池で土を混ぜて洗濯した」旨の供述部分は土地勘のある請求人が取調官の追及に答えを合わせて思いつくままに供述した疑いがあるとした判断は、いずれもこれを首肯することができるし、また「トラックが来た」旨の供述については、取調官は、請求人の取調以前に、問題のトラック運送者(運転手が鳥海等、同乗者が村上重一)が火災の第一発見者に等しい者であること、鳥海等らが本件火災を発見して付近住民に知らせ半鐘を打鳴させた後トラックで大沢堤脇の道路を通過したことを知っていて、その既得知識を利用しトラックに関する前記供述を引き出した可能性があるから、この供述は経験者でなければ述べえないわけではないとした原決定の判断、また次に杉山で休憩した旨の供述については現地の事情に通じている筈の請求人にとって経験しないでも述べうることがらであるとした原決定の判断は、いずれもこれを首肯しえないわけではなく、(1)の(キ)の供述について、原決定は、この供述は思いつきでも述べうることがらであり、しかも素足で走るような音を聞いたとする栗田辰吾、佐々木しづをはその音を聞いた時間を午前三時すぎとか午前五時前とか述べているが、これは請求人の供述による時刻(午前六時頃)と一致せず、真実性の高い供述とはいえないと判断するところ、この判断も首肯するに足りる。(1)の(ク)の供述についてみると、原決定は、この稲杭に関する供述は、この稲杭が事件当時にはその場になく、事件直後死体解剖台を作るのに用いられた後木小屋に立てかけられたものであることが認められるので、請求人の右供述はこの事実に符合し、かつ秘密性の高い供述といわねばならず、経験事実の供述とみる余地のある真実性の高い供述といえるが、そうと断定することはできないと判断する。ところで、右の供述は、(1)の(オ)の「木小屋に入り真暗で何が置いてあるか判らなかったが入って行くと足にツカアとしたので杉葉と思った」との供述の直後に位置し、「そこでそこから杉葉の束一つを抱えて木小屋を出た」との供述の直前に位置する。そして、右の供述の内容となっている稲杭(一本の稲杭である。)は、検察官作成の検証調書(三〇・一二・一三)及び木皿正二の司法警察員に対する供述調書(三〇・一二・二六)によれば、本件犯行時には他の稲杭等とともに木小屋の梁の上にあったもので、本件犯行後死体解剖等のためこれをおろして使用し、後片付けした際、他の稲杭等とは別個に、かつ請求人が抱え持って出たという杉葉の束が置かれていた場所の近傍に、木小屋の梁に立てかけてあったものである。しかしながら、検察官作成の右の検証調書によれば、請求人が木小屋に入って杉葉を探し当てその一束を抱えて木小屋の外に出るという行動をとったとしても、その行動範囲は狭小なものであったということができ、しかも、右検証調書を仔細に検討しても、その検証時において問題の稲杭のあった位置が、請求人が右の行動をとった場合に当然にこの稲杭に触れる範囲内にあると確認することができない。「今、稲杭が立てかけてあるが、あの晩稲杭にぶつかった記憶がない」から「あの晩はこの稲杭はこの位置に立てかけてなかったと思う」との供述が、経験者でなければ述べえない供述としての有用性をもつためには、“今立てかけてある稲杭”の位置が“あの晩、木小屋から杉葉の束を持ち出したとする請求人の行動範囲の中にある”ことが前提となる筈であるのに、その前提の充足が確認できないのである。これに加え、(1)の(ク)の供述は、真暗な中で、かつ狭小な行動範囲の中で触覚のみに頼ってえた経験事実とその経験事実からの推定、それも稲杭にぶつからなかったという消極的な経験事実とそれからの推定にすぎないのであるから、その証拠価値は、視覚によってえた経験事実の供述に与えられる証拠価値に比すべくもなく小さい、ということができるであろう。してみれば、(1)の(ク)の供述は、原決定の判断とは異なり、経験者でなければよく述べえない供述であって真実性が高い、とするには強い疑問があるといわざるをえない。また(2)の(ア)の供述については、当時の松山町やその近隣の土地に住む者であれば、農家にかまどがあることはよく知っていた筈であり、これに加え取調官は、請求人の取調以前に問題のかまどの存在とその位置を知ったうえで請求人の取調に当ったことが明らかであるから、必らずしも請求人が経験しなければ述べえないことがらであったわけではなく、それゆえこの供述があることをもって請求人の自白供述の信用性が高いということはできないし、(2)の(イ)ないし(カ)の各供述については、原決定は種々の観点から検討を加え、(イ)の供述は思いつきで述べたとしても必らずしも不合理とはいえないと判断し、(ウ)、(エ)及び(カ)の供述は、その供述の内容となった事実が請求人の取調以前に取調官に知れているのであるから必らずしも経験者でなければよく述べえない供述であるとは言いがたく、取調官の取調に合わせて供述したとみる余地もあると判断し、(オ)の供述は、思いつきで、あるいは取調官の取調に合わせて供述したとみる余地もあると判断するところ、これらの判断は必らずしも首肯しえないわけではない。

ところで右に明らかなとおり、右(1)及び(2)の各供述中、ジャンパーとズボンに血液が付着したかの問題点に直接又は深く関係のある供述は、(1)の(カ)の「両手がズボンに触ってヌラヌラした」「ジャンパーとズボンを大沢堤の溜池で洗った」との供述及び(2)の(カ)の供述(証二号の薪割りが本件犯行の兇器であるとの供述)のみであり、その余の供述は右の問題点について直接関係のある供述ではない。しかもその信用性については、すでに述べたとおり消極に働らく要因があることを否定すべくもない。そうであれば、宮内、木村鑑定の信用性及びこの鑑定によってもたらされる前記の疑いがすでに述べたとおり根拠のあるものである以上、右の各供述をもって、宮内、木村鑑定の証拠価値を否定し、又はその証拠価値を無視できるまでに低下させ、宮内、木村鑑定によってもたらされる前記の疑いが合理性に欠けるとして払拭され、あるいは根拠薄弱なものとして無視しうるに至る、ということはできない。(なお原決定書によると、原裁判所は、確定判決及び二審判決説示が経験者でなければよく述べえないこととしている事項が果してその事項に当るのか、当るとしてその秘密性の程度、自白が他の証拠によって認められる事実と合致するか否か、自白に不自然性不合理性がないといえるか否か及びこれらの点と自白の信用性との関連性について判断をするにあたり、高橋勘市の司法警察員に対する三〇・一二・四、同五、同六、同七、同八及び同一〇各供述調書、並びに同人の検察官に対する三〇・一二・一六及び同一九各供述調書をその判断資料の一つとして用いているかのごとき表現をしている部分があるけれども、右各事項について原決定の説示するところを検討すると、原裁判所は右の事項について判断をするにあたり、実際には右の各供述調書を資料として用いていないことが明らかであり、また右供述調書を資料として用いるまでもなく、右の各事項を判断することが可能である。)。

(三) 次に請求人の自白が本件掛布団襟当ての血痕によって科学的に殆ど決定的に裏付けられるかについて検討を加える。確定判決及び二審判決説示が右のようにいうのは、請求人が常用していた本件掛布団の襟当てに付着した血液が被害者らの血液と同じ血液型の人血であり、かつ二次的、三次的成因によって付着したものであることが旧証拠である三木、古畑鑑定によって証明されたことを指すことが明らかである。しかも右鑑定は新証拠である須山、木村鑑定によってその証拠価値を減弱することがなく十分に信用できることもすでに述べたとおりである。そこで、もし三木、古畑鑑定が新証拠である宮内、木村鑑定と対立矛盾の関係にあるとすれば、三木、古畑鑑定が信用できることにより宮内、木村鑑定の証拠価値は否定されもしくは無視できる程度にまで低められ、宮内、木村鑑定によってもたらされる前記の疑いが払拭されもしくは無視される程度に弱いものと評価されることになる。

しかしながら、宮内、木村鑑定それ自体と三木、古畑鑑定それ自体との間には対立矛盾の関係があるわけではない。なぜなら宮内、木村鑑定は本件ジャンパーとズボンに血液が付着しているかについてなされた鑑定であり、三木、古畑鑑定は本件掛布団襟当てに血液が付着しているかについてなされた鑑定であって、鑑定の対象物を異にし、しかも鑑定対象物の一方に人血が付着しているならば他方の鑑定対象物にも人血が付着している筈であるという関係があるわけではないからである。従って、宮内、木村鑑定がその鑑定対象物(本件ジャンパーとズボン)に血液の付着を認めず、三木、古畑鑑定がその鑑定対象物(本件掛布団襟当て)に血液の付着を認めたからといって、両者間に対立矛盾の関係があるわけではない。ただ宮内、木村鑑定の結果から請求人の頭髪に血が付いていない疑いが生じ、次いで血が請求人を介して本件掛布団襟当てに付着する筈がない疑いが導き出され、更には請求人の自白が虚偽である疑いがもたらされるとする一方で、三木、古畑鑑定それ自体によって本件掛布団襟当てに付着した血液が被害者らの血液であり請求人を介して付着したことが実証され、従って請求人の「自分が小原忠兵衛及びその妻子を殺害した」との自白が信用できるとするならば、この点で両鑑定間に対立矛盾の関係が生ずるということができる。しかしながら、三木、古畑鑑定は本件掛布団襟当てに被害者らの血液型と同型の血液が二次的、三次的成因によって付着したとする(より正確にいえば小原忠兵衛の血液型はO型、その余の被害者らの血液型はA型であるところ、三木、古畑鑑定は右付着血液の血液型はそれが一名の血液に由来するものであればA型、二名以上に由来するものであればA型のみ又はA型とO型が混在するとし、右の血液は噴出あるいは滴下して付着したものではなく軽く接触したり擦りつけたりして付着したとし、また付着の時期について三木鑑定は、血液付着後検査時((昭和三〇年一二月一二日))までの間に十数日ないし一ヵ年を経過しているとし、古畑鑑定は、血液付着後鑑定作業時((昭和三二年六月一日から同年七月一七日))までの間に少くとも数ヵ月から一年以上を経過しているとする。)にとどまり、それ以上端的に、右の血液が被害者の血液であり、請求人を介して本件犯行直後に付着したとするものではないから、三木、古畑鑑定それ自体によっては、せいぜい右付着の血液が被害者らの血液であるかも知れない、請求人を介して付着したかも知れない、本件犯行直後に付着したかも知れないという可能性を示唆し、その限りでの推論を許容するに過ぎず、本件掛布団襟当てに付着した血液が被害者ら以外の者の血液であり、また請求人以外の者を介して付着したものであり、本件犯行直後以外の時期に付着したとの推論を成り立たせうる余地を十分に残しているのであって、被害者らの血液が請求人を介して本件掛布団襟当てに付着したことが実証されると言い切ることはできないのである。従って三木、古畑鑑定それ自体をもってしては、宮内、木村鑑定の証拠価値を否定し、もしくはこれを無視できる程度にまで低めるものとし、ひいては宮内、木村鑑定によってもたらされる前記の疑いを合理性に欠けるものとして払拭し、あるいは根拠薄弱なものとして無視できるとすることはできない。それゆえ、三木、古畑鑑定により請求人の自白が科学的に殆ど決定的に裏付けられるということができないのである。

そこで三木、古畑鑑定に他の証拠を加えるとき、本件掛布団襟当てに付着した血液が被害者らの血液であり、請求人を介して付着したと認めうるかについて考えると、確定判決及び二審判決が掲げる各証拠はもとよりこれまでに取調べられた旧証拠、新証拠を合わせてみても、請求人の自白が信用できるとする条件が満たされない限りこれを肯定することができない。しかるに新証拠である宮内、木村鑑定によってその信用性に重大な疑問をもたれることになった請求人の自白を、信用性があるとの前提を立てて三木、古畑鑑定その他の資料に加え、これによって本件掛布団襟当てに付着した血液が被害者らの血液であり、請求人を介して付着した、と認定することが許されないのは当然のことである。

以上の次第で三木、古畑鑑定の存在は、宮内、木村鑑定により本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いとされることから、請求人の頭髪に血が付いていない疑いが生じ、次いで血が請求人を介して本件掛布団襟当てに付着しない疑いが生じ、更には請求人の自白が虚偽である疑いが生ずることについて、何ら障害となるものではない。

(四) なお、宮内、木村鑑定はもともと本件ジャンパーとズボンに血液が付着しているかについてなされた鑑定であり、その関係で新規明白性を具備する証拠であることはすでに述べたところであるが、更に前述のとおり、被害者らの血液が請求人の頭髪に付着したか、被害者らの血液が請求人を介して本件掛布団襟当てに付着したか及び請求人の自白が信用できるか、のいずれの点についても合理的な疑いを生じさせる証拠であるから、この関係でも新規明白性を備える証拠であるということができる。

4  原決定は、(1)録音テープ(請求人が昭和三〇年一二月九日司法警察員に対し、本件犯行の動機、犯行に至るまでの経過、犯行前の被害者方の状況、犯行の方法及び態様、犯行後の行動を供述し、これが録音されたもの。)の内容となっている請求人の自白は、録音の時期、内容及び供述態度に照らしても高度の真実性があるとは認められないとし、(2)二審判決説示をみると、請求人にアリバイの証明がないことをもって請求人の犯行を認める一資料としているが、請求人にアリバイの証明がないことは確かであるけれども、この証明がないことをもって請求人の犯行を認める資料とするのは必らずしも適当ではないとし、(3)二審判決説示をみると、請求人が留置されていた古川警察署留置場の板壁に、「志田郡鹿島台町昭和三十年十二月三日入ル斎藤幸夫」、「とも子さん母様おゆるし下さへ」等の文字が刻まれているところ、右落書きは請求人が書いたものと認められるから、これも請求人の自白の真実性を支持する一資料といえなくはないというが、右落書きは請求人の自白の真実性を裏付ける資料としてさほど証拠価値のあるものとは思えない、とする。

ところで、検察官は、右録音に際しての請求人の供述態度は淡々としているばかりでなく渋滞がないとし、この点をもって供述が信用性のある一証左であるとするのであるが、この録音テープを聴く限り、その供述態度を淡々としかつ渋滞がないとみるか、平板で迫真性がなく到底真実を吐露したものではないとみるかはいわゆる水掛論に属すると考える。従って右の録音に際しての供述態度をもって自白の信用性を推しはかるのは危険であるというべきである(ちなみに確定判決及び二審判決は、右の供述態度と自白の信用性の関係については全く言及していないのである。)。また、請求人がアリバイの証明ができないことは、請求人の自白の信用性を補強する効果をもたらす面があることは否定できないけれども、その性質上その効果にも相当の限界があるのであり、この証明ができないことをもって、請求人の自白の信用性に関しさきに指摘した種々の問題点を氷解でき、宮内、木村鑑定の証拠価値を左右することができる、とは到底考えられない。また更に落書きの問題についてみると、「志田郡鹿島台町昭和三十年十二月三日入ル斎藤幸夫」の部分は請求人がした落書きであることは明らかであるけれども、その余の落書きについては鑑定が二様に分かれ確定二審判決がいうように請求人が書いたものといえるか問題であり、よしんばその全部が請求人の手蹟であるとしても、これをもって請求人の自白の信用性に関しさきに指摘した種々の問題点を氷解でき、宮内、木村鑑定の証拠価値を左右できる、とは到底考えられない。

5  検察官は、旧証拠である(1)船尾忠孝作成の三六・一一・一八鑑定書(これは、これまで船尾血痕検査成績と略記してきたものとは異なる。)及び当審において提出した(2)三木敏行作成の松山事件関係鑑定に対する意見書(五五・三・一五)、(3)矢田昭一作成の松山事件関係に対する意見書、(4)検察事務官佐々木三郎作成の報告書(五五・二・二〇)、(5)宮内義之介作成の鑑定書(三八・一二・一〇)写、(6)大谷勲ほか二名作成の「頭髪付着血液の経時変化」と題する実験報告書(犯罪学雑誌四五巻五・六号掲載)は三木、古畑鑑定と相俟って請求人の自白を科学的に補強する重要な資料であると主張するもののごとくであるので、この点につき、判断を加える。右(1)の資料は、長髪の被験者の頭髪等に五ミリリットルの血液を注射筒から射出付着させた場合、時間の経過に従って付着した血液は次第に乾固し果ては血粉となるが、二時間ないし二時間半後にその頭髪を布地に接触させた場合にあっても頭髪に付着した血液がその布地に転着することがありうるとする内容の実験結果をえた資料であり、右(2)の資料は、三木鑑定が信用できることを説いた意見書であり、右(3)の資料は、三木、古畑鑑定が信用できることを説く一方、宮内、木村鑑定が用いたフィブリンプレート法の有効性を攻撃している意見書であり、右(4)の資料は、古畑鑑定において対照試験に用いた本件掛布団襟当て中の「きれいな部分」がどの部分であるかを検索しただけの報告書であり、右(5)の資料は、被験者の頭髪が長髪で事前に十分洗髪され、かつ乾燥後一二時間経過したという条件下でその頭髪に五ミリリットルの血液を付着させた場合、時間の経過に従って付着血液は次第に乾固し果ては血粉となるが、頭髪を他の物件に接触させるのが血液付着後二時間ないし二時間半以内であれば頭髪に付着した血液は他の物件に転着しうるとの実験結果をえた資料であり、右(6)の資料は、三日前に洗髪し化粧品の使用を禁じた長髪の成人男子被験者Aの頭髪に三ミリリットルの血液を振りかけ、前日洗髪し化粧品の使用を禁じた長髪の成人男子被験者Bの頭髪に五ミリリットルの血液を振りかけた場合、頭髪に付着した血液は時間の経過に従って次第に乾固し果ては血粉となるが、被験者Aのケースにあっては、頭髪深部にやや大きな滴状となって付着した血液は、付着後二時間半を経過したときでも頭髪に接触した他の物件に転着することが可能であり、被験者Bのケースにあっては、頭髪に付着した血液は付着後二時間半を経過したときでも頭髪に接触する物件が湿潤な綿布であればこれに転着することが可能であるとの実験結果をえた資料である。右(1)、(5)及び(6)の資料は本件犯行があった時点において請求人の頭髪が長髪であったとか、右時刻よりどの位以前に洗髪されたとか、頭髪に整髪料が使用されていたかいなかったのか、使用されていたとすればそれはどのようなものであったのかといったことがらについて本件全記録を調査しても全く資料がないことに照らし、右の実験の場合と請求人の場合とで前提条件が近似しているか否か不明であるから、右資料を請求人の自白を補強するに相応わしい資料としうるかについて相当の疑義を残すものというべく、また右(2)、(3)及び(4)の資料の証拠価値は、三木、古畑鑑定の証拠価値以上に出るものではないから、請求人の自白に対する補強力も前述の三木、古畑鑑定の補強力以上に出るものではない。

四  原決定の判断の当否及び結論

1  原決定は、(一)新証拠である宮内、木村鑑定により、請求人が事件当夜着用していた本件ジャンパーとズボンには当初から血液の付着がなかった蓋然性が高いと判断されることから、ジャンパーとズボンに血液が付着しないにもかかわらず、請求人の頭髪にのみ返り血が付着し、本件掛布団の襟当てに二次的、三次的に付着してこれに多数の血痕斑が生じたであろうかについて多大の疑問を生じさせることになったと判断し、(二)また三木、古畑鑑定の証拠価値が新証拠である須山、木村鑑定によって著しく減弱したと判断し、(三)以上の点を総合して、(1)本件掛布団襟当ての多数の斑痕中に被害者らの血液型と同型の血液が血痕として付着していたことの蓋然性と、(2)その血痕が請求人の犯行を介して生じたものとみられることの蓋然性の両面において疑いが生じ、二重の意味で襟当て血痕の証拠価値は著しく減弱されたと判断し、(四)他方ジャンパーとズボンに当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いと判断されることから、ズボンに血液が付着したという請求人の供述及び右血液の付着を前提としたジャンパー、ズボン等に関する請求人の供述がいずれも虚偽の供述である疑いが濃厚であると判断し、(五)更に裁判不提出記録中にあったもので新規性があると認める高橋勘市の司法警察員に対する三〇・一二・四、同五、同六、同七、同八及び同一〇各供述調書並びに検察官に対する三〇・一二・一六、同一九各供述調書を加えて検討すると、請求人の自白は虚偽の自白を誘発し易い状況のもとでなされた疑いが濃いと判断し、(六)以上のように自白中に虚偽ないしはその疑いの濃い供述があり、自白全般の真実性に疑いを容れるべき事情が存するとともに、自白の決定的な裏付けとされた掛布団襟当ての血痕のもつ証拠価値が著しく減弱したものと認められる以上、本件犯行が請求人の行為によると認定されるためには、請求人の供述に高度の真実性が認められなければならないが、その供述の大部分は高度の真実性があるとは必らずしもいえず、一部には却って真実性に疑いがあり、あるいは不合理な供述さえあることが認められ、請求人の犯行を肯定することができるほどの高度の真実性がその自白に存在すると認めることは困難であると判断し、(七)そうすると、確定判決の証拠構造は新証拠に照らしてその重要な部分が動揺し、もし新証拠が確定判決の審理中に提出されていたとすれば、有罪の事実認定について合理的な疑いが生じたものと認められると判断した。

2  右のうち三木、古畑鑑定の証拠価値が新証拠である須山、木村鑑定によって揺るがないことはさきに判断したとおりであり、従ってこの点に関する原決定の判断は誤っているといわざるをえない。また原決定掲記の高橋勘市の捜査官に対する各供述調書は、請求人と留置場で同房した高橋が毎日請求人の房内における行動や請求人から聞いた取調状況を捜査官に供述した内容のものであり、同様の内容についてすでに確定判決の審理及び一次再審の審理において同人が証人として証言しているところである(このことは原決定も認めるところである。)ことが明らかであるから、新規性のある証拠とは認められず、従ってこの各供述調書を新規性のある証拠とした原決定の判断も誤っているというほかない。(もっとも、原決定が前項(五)の判断をするにあたり実際には右の各供述調書を資料として用いていないことは、すでに述べたところである。)。

3  しかしながら、これまで縷縷述べてきたとおり、新証拠である宮内、木村鑑定は、本件ジャンパーとズボンには当初から血液が付着していなかった蓋然性が高いことを立証し、このことから請求人の頭髪に返り血が付いたとか、この血が二次的、三次的に本件掛布団襟当てに付着したとすることに合理的な疑惑をもたらすとともに、本件殺害行為により血液がズボンに付着した旨、大沢堤の溜池で本件ジャンパーとズボンを洗濯し、手、足、顔を洗った旨、殺害行為隠蔽のため本件放火行為に及んだ旨の請求人の自白は虚偽であるとの合理的疑いをもたらすこととなるところ、このことは、更に進んで、請求人が本件殺害行為の犯人であり、本件掛布団襟当ての血痕がその有力な証拠であるとする確定判決の事実認定に合理的疑いをいだかせ、ひいては請求人が本件殺害行為の犯跡を隠蔽するため放火行為に及んだとの確定判決の事実認定にも合理的疑いをいだかせることになり、従って確定判決の審理中に宮内、木村鑑定が提出され取調べられていたとすれば、本件掛布団襟当ての血痕に関する三木、古畑鑑定があることを考慮しても、有罪の認定に至らない蓋然性があったと認められる。

してみると、結論において右と等しく、理由づけについても大筋において右と等しい原裁判所の判断は維持できることとなる。

4  結論

以上の次第で、宮内、木村鑑定は刑訴法四三五条六号にいう「有罪の言渡を受けた者に対し無罪を言い渡すべき明らかな証拠」ということができるから、本件については再審を開始すべき理由があるといわねばならない。そうすると再審を開始すべき理由があるとした原決定は結局正当としてこれを肯認すべきであり、検察官の抗告は理由がないので、これを棄却することとし、刑訴法四二六条一項後段により主文のとおり決定をする。

(裁判長裁判官 中川文彦 裁判官 藤原昇治 裁判官 渡邊公雄)

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